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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

キャパシティ!!!

キャパシティオーバー甚だしい。予定が詰まってやることもたくさんあってというのは本当に幸せなことなのだが、自分の能力以上のことでやらなければならないこと、または自分の能力のうちのことでも時間をかけなければ達成できないことが多く、結局それで達成できずに時間を迎えてしまっては全く意味がない。

自分の能力分のことをするためにはそれ相応の時間が必要で、
同時に人の期待を超えるほどのパフォーマンスを発揮するためにはこれもまた長い準備の時間が必要だ。

そして、おそらく自分は小さなタスクを1つずつ終わらせてそれを積み重ねながら仕事をしていくのがおそらく苦手かもしれない。ステップを踏めないという自分自身の課題点を最近感じることが増えてきた。

では、今までそのような複雑な課題をどのように対処していたのかというと、おそらく問題というものを敢えて素因数分解することをせず、全体を常に俯瞰する中で少しずつ様々な要素のクオリティを上げていくという方法を取っていた(のだと思う)。

これを音楽づくりのスケールで考えるのであれば、譜読み、合わせ、分析といった様々な要素を1つ1つ終わらせるというよりも、すべての要素を並行して少しずつ時間をかけて行っていくほうが自分の中では最終的にクオリティが安定しやすいというところに帰結する。
また、あらゆるデータを残しておくクセもつけておいたほうがいいと感じた。
最近の録音の傾向が、通しのみではなく合わせ全てを基本的に録音しておき、音のなっている場所全体からどのような演奏をしているのかを分析していることが増えた気がする。わからんけど。

問題の素因数分解と同時に、その素因数分解したものたちを少しずつ持ち上げる、すべての要素に対して多くの時間を並行的に少しずつ割きながら物事に立ち向かうスタンスというものに対して、もっと具体的な作戦を持つようにしたほうが良いのかもしれない。

ダマーズの3重奏曲

今月のクラシックはダマーズ月間。
おさらい会ではサクソフォンのための室内楽曲を2曲演奏する。
ヴァカンスは吹かない。(機会があれば吹きたいとは思う)

やはり同じ作曲家の曲を2曲同時に並行すると、共通点や作風と呼ばれるものが顕著に表れて面白い。曲や様式も掴みやすい気がしている。
曲のことを勉強することは作曲家やその時代の様式を学ぶことも大切と言われる所以を久々に体感しながら練習をする日々だ。

最近デュコフを買った話



メタルマウスピースであるデュコフD7を購入した。
後日迎える26日のライブのために購入したのだ。

いわゆるハイバッフルタイプ・ステップ型のマウスピースで、音色のキャラクターはかなりハッキリとしているマウスピースで、マイクの乗りがめちゃくちゃ良さそうな音。(私感)

正直なところ、クラシック演奏時の奏法のクセからして、ジャズやポップス等に向いたマウスピースを選ぶにしてもラバーのモノが良いと思っていたのだが、実際に数種類の中から選ぶにあたってこれは全く違うものをチャレンジするのもまた一興…というくらい好奇心で選んでしまった部分もあるのだが…。

当然のことなのだが、クラシックとは息の流し方や量や方向のアプローチも全く違い、興味深さも大きいがそれ以前に、そのマウスピース独自の音を引き出す?のすら難しいなと感じた。
想像以上にクラシックの奏法に毒されている。まあプラスに捉えればちゃんとクラシックのニュアンスを探究してきたよっていうアピールも出来るのだが。

エフェクターと組み合わせて音作りしようかなぁ~間違いなく面白い響きはそちらの方が作れそう…。

と言う感じの最近であった。

ダマーズの四重奏曲

昨日はダマーズの合わせだった。

フランス20世紀の中でもかなり高名な作曲家の1人であるが、彼の作品の難しさは譜ヅラというよりも、横の流れに音楽の流れまで流されるところにあるように感じる。
美しいメロディを生み出すセンスに、来るべき部分に相応しい和音を当てるセンスは特筆するべき部分も多いが、フランス人らしい皮肉の内容は他の作曲家に比べより陰湿なイメージがある。悪口ではない。我々では気づくのが難しいくらいオシャレなイヤミを彼は平気で話して(書いて)いる。

7月にもおさらい会は実施するのたが、このおさらい会ではダマーズの室内楽作品を2作品演奏する。1つはこの四重奏曲と、もう1つはソプラノ、バリトンとピアノのための三重奏曲。

どちらの作品も1目楽譜を見るだけで、どのように魅力を引き出すべきかというところで難しさを感じることが多い作品なのだが、もっと楽譜を普段から読み込み、それをイメージするクセを深くつけたいと思う。

シェーンベルクブーム

最近の興味の範疇はシェーンベルク。
そういえば、来年のいわゆる吹奏楽コンクールの課題曲V番に尾方凜斗氏の 吹奏楽のための『幻想曲』―アルノルト・シェーンベルク讃 が選ばれたが、まさにタイムリーといった具合だと感じた。尾方氏の作品は、去年の3月に作曲の会Shiningにてパリンプセストー重ね書きされた吹奏楽のためのーという作品を演奏させていただく機会があったので、そんな馴染みのある作曲家の作品が脚光を浴びた事実に私も嬉しくなっている。直接交友が深いとかそういうわけでは無いのだが、(おこがましいながら)内心ものすごくお祝いしている。笑
吹奏楽の課題曲を演奏する機会というのは、ありそうでなかなか無いものだが、是非音を出してみたいと思っている。
そして、これはどの曲もそうだが…課題曲とはなっているが、課題曲として終わらないような、吹奏楽の大事なレパートリーとして定着していくことを願っている。

ちなみに私が吹奏楽コンクール課題曲で好きなV番は…まあ選べないんだけど、江原大介さんの「躍動する魂」か、山口哲人さんの組曲「薔薇戦争」、谷地村博人さんの「君は林檎の木を植える」あたりだろうか。結局最近の曲ばっかり上げてしまうあたり、自分の吹奏楽の知識まだまだだなと思わされる。笑

話題が逸れまくった。シェーンベルクだ。

多分、書くべくして十二音技法を選んだのだろうなと感じている。
彼の初期作品の美しさは、他の追随を許さない。マジだ。
彼は時代の先に行きすぎていたと思う、マーラーが自分のことをそう言ったように。
新ウィーン楽派という音楽史上の区別がつけられたあまり、いわゆる「現代音楽」…ここでは理解できない皮肉的な意味として…の作曲家としてレッテルが貼られている(ように思う)が、とんでもない。
彼はもう力も創作意欲も有り余って、十二音技法が生まれたのだ。
と、最近彼の作品を色々と聴いていて感じる。
どの時代の人びとも、力の有り余った人が新しいことをはじめ、当時理解されず、後になってその素晴らしさが分かるようになる。そんなものなのだろうか。

1930年代には、ナチス・ドイツ政権が頽廃音楽などというカテゴリを作ったが、これもなんというか…そういうとこだよな~となんとなく思う(つたわれ)

とかく、かなり大きく興味をそそられていて、しばらく色々調べたり読んだりしてみたいと思っているのがこのシェーンベルクだ。また記事にしたいかも。

ソプラノ

ピアソラを合わせその後は帰宅しソプラノをさらった。
今後演奏する新曲を譜読みした。

調和の落とし所

入間市民吹奏楽団さんの定期演奏会に賛助出演させていただいた。
吹奏楽の中でソプラノを吹くのはかなり久しぶりで、またこれがどの辺りにサウンドを持っていくのがベストなのか、かなり悩まされた。
そもそもソプラノサックスという楽器が、かなり音色の独立しやすいもので、それを混ぜに行くというスタンスで演奏すること自体が正しいのかも疑問に感じるほどだった。

息を減らす訓練が必要なのかなとも感じた。
少ない息の量、方向やアンブシュア、身体の使い方の工夫でとかく新しいところを探してみたいと思った。
今は息を出す際にいかに力を抜くか、というところで、息をたくさん、脱力して使うというところに焦点が当たりがちだったのだと思う。
つまり自分の体の中にストッパーという概念が一切無いような身体の使い方だったのかなと感じる。あくまでイメージだが。
ストッパーといえば無い方が良いに越したことはないが、しかし明らかに息の無駄遣いは発生していると思う。その辺明日からまた研究できたらいいなと思う。

しかし無事終わって安心したところが大きいが思い返してみたら楽しい本番だった。貴重な曲も演奏できたし良い経験ができてわたしも嬉しい本番だった。
誰かに呼んでもらえることは本当にありがたいものだ。
色々な曲に触れられるようにしたい。
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