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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

吹奏楽コンクールで指揮を人生で初めて振った話

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自分自身わずか19歳にして、しかも外部の人間として、しかも吹奏楽の指揮をさせていただけるとは夢の中の夢にも思っていなかったのですが、こればかりは本当に人のつながりというか、そういうのに本当に恵まれたなと痛感した・・・。
以前の記事で書いたけれども、高校生の吹奏楽部の指揮をしてきました。
指揮でコンクールなんて初めてだし人前で吹奏楽の指揮振るのも初めてだったし、緊張緊張でした(笑)。

普段の合奏の頃から私のやりたいようにかなり協力して部員達も一生懸命練習してくれて、音楽的な流れやスピード感は良く評価され、努力をしっかりと出来た部分はちゃんと結果が出た演奏で本当に良かったと思ってます。
ただ、やっぱり埼玉県の吹奏楽はアホみたいにレベルが高い。残念ながら入賞ならず・・・。
自分の力量の無さを痛感。普段自分の頭の中だけで音楽を処理してて、アウトプットの能力はやっぱり全然追いついてなかったし、今になっても、彼女達ならもっともっと出来たのに、何故あのタイミングでもっと厳しく追及する勇気が無かったのだろうか、とか^^;
冒頭に人脈云々って言うのを軽く書いたと思うけれど、というか日本人の特性だって何かのテレビで言ってたのを思い出したけどやっぱり、自分自身の問題として、短期的にでも人に嫌われる・・・嫌われる事は無いって分かるんだけど、なんかこう関係の「つまり」って言えばいいのかな、そういうのを作る事にものすごい抵抗を感じてしまうんだよな。何よりみんな本当に一生懸命だったし。
んー・・・なんというか年齢も近くてやっぱり先輩後輩っていう感覚、むしろ友達みたいな感覚とかもあったし、あんまりごりごりチクチクは言いにくいって言うのは多分なんとなく気持ちとして分かってもらえる・・・かな?笑
すげー言い訳言い訳してるけど、そういう自分の弱さも感じたのが今年の夏だったかもしれない。
音楽において妥協をしていたのと同じだから、猛反省するべきだなと自分自身思っている。
ただ、当時は当時なりの自分の本当に本当に出来る限りの事は尽くしたと思っているし、この時点でこういう事が出来なかったのを気づけたのは、こういう素晴らしい機会があったからだし、今こうやって振り返って新しい目標に繋げられるヒントがたくさんあって本当に良い経験をさせてもらえたなあって本当に思ってます。
初めて、っていうのもスゴい思い出としての刺激が強いし、絶対に忘れたくない大切な思い出になりました。
しっかり演奏時のDVDとか注文させてもらいましたとさ。笑

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皆で。中心で自分の隣に座ってるのが共に指導をお手伝いしてくれた講師の石井先生。
部員数も去年比+5か・・・増えたな〜。もっと増えて、もっと活気ある部活になれば良いなー。


NBBの皆、関係者の皆様も含め本当にありがとうございました。
全然記事の質が高くない気がするんだけど、文字に書かなくても感覚が体に染み付いてるのでいいか←

教習所では(1段階目)

学科教習=睡眠との戦い
実技教習=これはやっぱ面白い

レースゲームとか割と好きなのもあって(関係あるかな(笑))運転そのものはすごい楽しい。
S字カーブ、クランクとかも慣れるとめちゃ楽しい。あれなんだ。面白過ぎる(笑)
ドライブが趣味と言う人の考えが今まで全然分からなかった(笑)けど、これは運転しないとわからない感覚なんだなとも思った。
自分の好きな手段で目的地に移動できるっていうのはすごい良い事っすね。

新しい友達は特に出来ず(笑)小中学校一緒だった人とかもちらほらいたらしいんだけど全然遭遇無し。忘れちゃってるだけかな(笑)

ただ仮免学科試験…やばいなーあれ簡単簡単言われてるけどなんか不安過ぎて、1段階の実技の試験?なんていうんだっけ?あれ終わってから1ヶ月みっちり勉強してテスト寝てても必ず合格しようと心に決めたのもこの時期でした(笑)

運転免許を取り始めた話

日付があんまり合ってるか分かんないんだけど急に家で免許取る?みたいな話題がのぼり特に断る理由もないのでとりあえずオートマチックだけでも免許を取ることにしました。っていう話。
いや別になんにも面白いことはないんだけどね、(笑)
そういうことがこの日あたりにありました。
どこにも所属しない日々が続く中で、教習所という場所に所属するということはまた何か新しい出会いとか?あるかも?しれないし、やらない後悔よりやる後悔。取ろうと決めました。
けどビックリだったんですけどオートマチックでも30万円近く掛かるんですね(;´д`)
こりゃ自分では取ろうとは思わないな…w

教習所でのことはこの記事に書いちゃうとネタが尽きるのでいくつかに分けて書こう。(笑)

バイトを始めた話。

七月に入って、何を思ったのかバイトを始めました。
いや、ちゃんと理由はあるんですがそれは後々。
けどレッスン代とかも自分で稼がなきゃと前々から思ってたし、今の段階じゃあ音楽で本番こなしてお礼もらえるような身分にはほど遠いし、本当にこれは行動始めて良かったと思ってます。

県内だとなんかツマンナイ(何が)ので、半ば強引に都内に決定。
私(一人称をこれからなるべく私、で書きたいと思うんですよね)実は住んでいるところが結構県境なところなものですから電車一駅二駅くらいですぐ都内と設定されている土地には行く事が出来るわけで。
駅から徒歩20秒。コンビニ。時給900円行かないかな?くらいだったかな確か。

面接申し込みの次の日に面接。そのまま採用してもらえて(ありがとうございます)
7月中に3回ほどトレーニング。レジ操作などの基本的な事を教えてもらい、8月からついに接客開始。
その話はまた今度の記事で。

絶対音楽という言葉

ウィキペディア先生はこう仰っています。

絶対音楽(ぜったいおんがく)とは、標題音楽に対する用語で、歌詞を持たない音楽の中で、物語その他文学的な何ものか(標題)を音楽で表現しようとする音楽でなく、音楽そのものを表現しようとするような音楽をいう。

はいありがとうございます。もう記事完結できちゃうくらい分かりやすい。
もっと薄っぺらく言えば、

標題音楽→歌詞無し、物語や風景を表現してる音楽。
絶対音楽→歌詞無し、音楽そのものを表現する音楽。

ではこの音楽そのものを表現する音楽とは一体何なのか。
ぜーんぜん分からないのでだれか教えて下さい。笑
ただ、この言葉から何となく、音楽的表現という言葉は連想出来る気がする。
音楽的表現とは何か。
あーこれこそとんでもなく難しい質問だと思うし一言で答えられるような内容じゃないか・・・。

自分は最近、音楽をしたい、という思いが非常に強く溢れかえっている。
音楽をしたい、というのはただただ演奏するだけでなく、音楽の持つ・・・こう本質的な部分、なんて言ったらなんかスゴい抽象的だし説得力無さすぎてアホさ丸出しな感じだけど(笑)。
本質とかエッセンスとかあんまりそういう根拠が言葉にできないような表現は好きではないけれどそういう言葉とか図とか絵とか、視覚や嗅覚、理論で表現できないような事を表現できるのが音楽だと思う(あの言葉が最近やっと理解できました・・・)し、そういう境地に一瞬だけでもいいからたどり着いてみたいとも思う。

ま、練習あるのみですな。笑

ドビュッシーの音楽

クロード=アシル・ドビュッシー

27歳まではアシル=クロード・ドビュッシーだったとか(wikipedia先生)
わずが10歳でパリ音楽院に入学。
最初はピアニストを志していたが学内のコンクールにおいて2度連続で賞を逃した事から自信を失い、ピアノ伴奏科のクラスへ編入。この頃から作曲の挑戦をしている。

1880年、チャイコフスキーの資金の援助者であるフォン・メック婦人のピアニストとして同伴し、彼女を通してドビュッシーはロシア作品(ロシア五人組やチャイコフスキー)からの影響を受けた。

1888〜1889年、小組曲を作曲。

1890年、アシル=クロードからクロード=アシルに名前を変えた年に、ベルガマスク組曲を作曲。
この頃から初期の重要なピアノ作品と歌曲が作曲されていく。
この頃の作品は、チャイコフスキーやワーグナー、グノーやフォーレなどの影響がはっきりと見て取れる他、
彼の作曲技法が後に印象派と呼ばれ歴史に語り継がれる理由になるような表現の芽が随所に現れている。

時間列は前後するが、1889年にパリ万国博覧会でジャワ音楽を聴き、絶大な影響を受けた。
この体験が彼の作曲技法に大きく影響を支え、印象主義と呼ばれる作曲技法の土台になったと考えられる。

1894年には午後の牧神の為の前奏曲が作曲された。

1900年代に入ると、版画、夜想曲などの名曲が作曲、演奏され、ドビュッシーの作曲家としての地位を不動のものへと変えていった。
1905年、交響詩「海」を作曲。
サクソフォンの為のラプソディは1901年から1908年の間に作曲されたと言われているが、途中でオーケストレーションをやめてしまい、1919年にロジェ=デュカスによって管弦楽編曲が為された。
1910年、前奏曲第1集を作曲。
1912年、無伴奏フルートのためのシランクス作曲。
1914年、大腸癌を発病。
1915年、ピアノのための12の練習曲を作曲。
1917年、ヴァイオリンソナタを作曲。
1918年、死去。

様々な名曲を生み出しているが、やはり彼の作風は魅力に満ちあふれている。
それまでの曲は、全ての和音はトニックへと終結し、和声の進行が絶対的なルールに縛られていて、
長短の2つの次元にしか存在しなかった。
しかし彼はその概念を完全に覆した一人目の作曲家とも言えよう。
ワーグナーの名作「トリスタンとイソルデ」から生まれた調性崩壊のきっかけである半音階転調に影響を受け(ドビュッシーは若い頃ワグネリアンだった頃があるので、少なからずこの曲にも影響を受けているかもしれないという予想(まあもっともなお話パリ万国博覧会以降の音楽祭でワーグナーの語法にも限界を感じて最終的にはアンチになっちゃってるけどね))、和音に優劣を無くし、メロディに教会旋法や5音音階、全音音階を取り込む事によってメロディに新たな色彩感を生み出し、調性を曖昧にさせ、新しい高い芸術性を持った価値ある音楽を生み出した作曲家、それがドビュッシーであると思う。

そしてその旋律はしばし日本的な感覚に触れ、共感させられる部分も少なくない。
繊細で、軽く、決して大音量のゴリ押し(言葉が悪い・・・)で演奏効果を狙うようなものではなく、
貴族的な音楽的表現によって生まれる独特の世界、それが彼の最大の魅力であると思う。

これからしばらくドビュッシーの事かきまくる気がする。マイブームすぎる。マジで。