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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

あの日から1年経ちました

そう、自分で演奏会を企画してから、本当に実行してしまった日。
忘れられない。12月22日。今日のようによく晴れた日だった。

今だから話せるが、プログラムは当日午前中に届いた。これの配送が遅れていたらと思うと背筋が凍る(笑)
祖父母が会場まで送ってくれた。
両手に抱えきれないほどの量の荷物を持ち、会場入りした。

自分で演奏会を0から作り上げたことはとても大きな経験だった。
プロフェッショナルであるのならば、どの本番でも全力を尽くして演奏するのは当然のことだが、だがしかし思い入れが全然違ったなあとも思ってしまう。

自分は、サクソフォンの様々な側面が見えるよう、敢えてプログラムにバラツキを持たせた。
今考えてみれば、もう少し考える余地があったような気もするが…
とかく、曲の難易度なども考慮した結果なので致し方ない部分だったかなあ、

去年は、浪人中故に好きだった音楽が嫌いになったり出来なくなったりして辛かったが、しかし最後にはやはり音楽が好きだったこと、自分が音楽を出来ることの幸せさというものを演奏とともに静かにかみしめていたように思う。

なかなか自分で演奏会なんて出来なくなってしまったが、またチャレンジしたいな、、

図書館入るのハマったかもしれない

今日も思うことあって図書館へ。
普段なら楽譜を借りているのだが、今日は書籍をいくつか借りた。
まだ読めてはいないが、このブログでいつだか書いた続きをかけるかもしれない。

ラーションその音ホントにC?



サクソフォンのためのクラシック音楽の中で、かなり好きな曲でもあり憧れの曲の一つにラーションの協奏曲がある。
シガード・ラッシャーに捧げられた曲で、北欧らしい爽やかな風のような表現と、ラッシャーらしい超高音の連続が印象的な曲だ。

ただ、楽譜がミスプリント正しいのかわからなくなる部分がいくつかあるのだ。
覚書程度に今日はその中の1箇所をピックアップすることにした。

楽譜は1楽章の展開部の後半部分。
A7からDmに解決する和音進行を持ちながら、サクソフォンの2拍目の裏の裏のラの音がシャープなどの臨時記号なく、ナチュラルで表記してある。
youtubeにラーションの素晴らしい演奏は沢山上がっているが、人によってバラバラの印象だ。
精査してみたい。

何気なくブログ書いたらめっちゃTwitterでいいねがきて、その次の日の記事を書く時のプレッシャーの半端なさやばくないですか!?

今日は練習の後、合わせを3件。

ちょっとした理由で、先月からデザンクロをさらっていたが、それが今日、一つの終止符を打った。
サクソフォンのためのソロ曲としては間違いなく最高峰の作品である「プレリュード・カデンツァとフィナーレ」。この曲は本当に大好きで、高校生の時に初めてさらってから、時期は違えど毎年何らかで取り上げている。来年以降はなかなか触れられなくなってしまうかもしれないが…。

しかし本当に難しい。オクターブに届かない微妙な範囲の跳躍、とてつもなく高い緊張感の中に紡がれる意味深長な会話など、魅力的でありながらも技術的にも音楽的にも壁が高すぎる音楽だと思う。
以前書いたかもしれないが、この曲は自分の中で文学作品の「羅生門」とも似通っているような印象を受ける。
物語は、ハッピーエンドが幸せかもしれないが、魅力的に見えるのはバッドエンドとも思っている。
他人に見える不幸や自分に降りかかる難題が魅力的だとは思わない。むしろそんなものは無くなってしまって、皆でゲラゲラ笑ってる方が絶対に楽しい。

しかし、バッドエンドには、再考の余地が存在するのだ。そこに奥深い魅力を感じられずにはいないのだ。
こうしたらよかったのではないか、こうすれば違ったのではないか…。
現在の自分なら何か変えられるかもしれないというかすかな期待感と、いくら思い更けても過去を何も変えることは出来ない儚さのようなものに、魅せられてしまう。

デザンクロの音楽をすべて聴いた訳では無いので、作風を語るほどの教養は無いが、ただ少なくともサクソフォン作品においては、尋常ではない深さを持った二面性を感じる。

(この後もいろいろ文字書いたのだけれども楽曲研究のレポートみたいになっちゃったのでやめます笑)

歴史に残るような名曲なのだから、自分なりの本気の解釈も若すぎるものになってしまうのかもしれないが、自分なりながらもこのような音楽に触れて、魅力を知ることが出来るのは本当に幸せだと思う。

いつになるかわからないが、音楽について書きたい記事がある。
クラシック音楽に普段あまり関わらない人向けの文になりそうだが、楽しい読み物にできるように少しずつ準備を進めたい。

想像力

図書館で、目的もなく面白そうな楽譜を探すことが月に1度ほどある。
今日もそんな気分で図書館にふらふらと足を運び、蔵書検索のパソコンとにらめっこする。
キーワードはサクソフォンのための現代音楽。
知らない曲ばかり出てくるし、知らない曲なのだからその演奏も聴いたことが無いし、タイトルだけででたらめに掘り出すようなイメージではあるのだが、結構楽しい。
今日はそれで数冊借りたが、タイトルと楽譜の譜面から、なんとなくこの曲は埋もれてしまった名曲ではないか?と感じる作品が1つあった。

で、その時の話。
「聴いてみたい」と思ったのだった。

当然行き着く先なのかもしれないが、少し違和感を感じてしまった。
うまく言葉では説明出来ないのだが、なんだかそんな自分が悲しかった。
楽譜があるのに、楽譜を見て音楽を知るのではなく、音を聴いて音楽を知ろうとしたことに、だ。

楽譜から音を想像するっていうことが、出来なくなっているのではないか?とも言える。

話は逸れるが、自分が初めて買ったサクソフォンのためのソロの楽譜は、ブートリーのディベルティメントだ。
曲を知ったきっかけはCDであったが、強い憧れを抱き、小遣いを貯め、都内の楽器屋へ出向き買いに行った。
あの時はあこがれの曲の楽譜が買えて嬉しくて、いつでも持ち歩いて、伴奏譜(スコア)を見ては子供なりの発見をし、譜面を見るだけで音を想像し、それが脳内にリアルに響いた時に驚きと興奮を隠せなくなった体験を未だに鮮明に覚えている。

もちろん、この体験さえもCDという媒体があったからこそのものなのかも分からないが、少なくとも楽譜から音を想像する楽しみみたいなものがあったと思う。その頃は曲をさらうさらわないに関わらず、好きな曲の楽譜を買いあさったことがそれを証明している。

楽譜のみで音を想像する、という音楽の楽しみ方が、自分の中にあったということを思い出す良い機会になった。

最近、自分の奏法に変化が出てきた。音色もまた変化してきた。
自分のしたいことをしているのは本当に幸せだと思う。
音楽が好きではなくなってしまうくらい、音楽のことも向き合っていきたいとさえ思う。


12月だが、こちらでは紅葉は今が見ごろのようだ。
たしかこの頃だよなあ。第二志望とか考え出したの。

継続力

ブログの更新が毎日つづいているかどうか、というのは自分の中の想いの強さの指標になってしまっていないかな、とか考えてしまう事も少なくない。
なんにしても書かなかったら書かなかったで、いいかとすぐに思考を切り替えてしまうあたりは自分の良い所でもあるし悪い所でもあると思っている。

11月は本当に落ち着いて過ごす事が出来た。自分のしたい事に打ち込み、少しずつではあるが、確実な自分の中の変化を感じている。
その中で、本当に自分が必要としているもの、選択するべきもの等も考える時間が増えて、将来が少しリアリティをもって見えてきたりもして、不安にもなったりもするが、それも含めて前に進もうという原動力になっている感じはある。

何をするにも限られているものはたくさんあるが、その中でも精一杯あがいて後悔の無いように過ごしていきたい。