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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

これから

結果には四段階ある。
一番良いものは、主観的にも客観的にも成功したもの。
二番目は、主観的に成功したが、客観的に失敗したもの。

ここまでが成功。
ここからは失敗。

三番目は、主観的に失敗したが、客観的に成功したもの。
四番目は、主観的にも客観的にも失敗したもの。


今日は人前でマルタンのバラードを演奏したが、結果的には3番目だった。
あんまりネガティブを書いても仕方ないので、割愛するが、マルタンを聴いてもらうという難しさ。
華やかからは程遠いところの晦渋で冷淡な音楽を伝える力がもっと欲しい。
またいつか、リベンジしたい。
本当に好きな曲だし、いい曲だと思う。
これからこれから。

レパートリーのこと

前期試験が7月に終わってから漠然と考えていたが、結局9月が終わろうとしても決まらないでいる。
研究演奏のプログラミングである。

当初は、2曲の新しいレパートリーになりうる音楽を、と考えていたのだが、先生との相談の結果ちょっと足を立ち止めてしまい、そこから動けない状態でいる。

とりあえずしばらくまた立て込むので、集中…

懐中電灯



懐中電灯。
先日、夜道は危ないからと言って祖母がくれた。笑
小さい割に光は結構しっかり出てくるし、仏子山で遊びながら照らすもなかなか面白い。ガキか。笑

今日は来月の学祭に向けての合わせを中心に過ごしていた。
1つは協奏曲。来月、吹奏楽をバックに四重奏協奏曲のソリストとして演奏できることになった。客観的に見たら大分贔屓していただいた感じになっているので、関係者の方々には誰にでもちゃんと「この人達にソロ任せてよかった」と思ってもらえるように演奏したい。
もちろん、それよりも聴いていただけるお客様に楽しんでいただけるように考え、準備することも大切だと思う。
協奏曲を大きな編成をバックに演奏したいとは漠然とずっと思っていたが、いざその憧れが現実的になろうとすると、演奏する責任の大きさというものをとても強く感じる。
演奏する曲は、ハートレーの四重奏協奏曲なのだが、とても理論的な旋律線が特徴的で、かなり音楽表現としては、抽象的なものとなりやすい曲のため、表題や感覚で楽しんでもらう音楽とは違い、伝え方が少し難しいように感じる。

難しいを言い訳に努力を怠る気は毛頭ないが、譜面上の視覚的なロジカルを、盲目的な、聴覚のみに依存する音で分かるように表現しつつ音楽を成り立たせる、ということを目標に曲作りに励みたいと思う。

もう2-3曲、学祭に向けて勉強してる曲と、試験とコンクールに向けて準備している曲があるが、その話はまた後日ブログに書きたい。

終電を逃す理由以外で深夜に街を歩く人デビュー



いつも通り、感じた事を言葉にしてしまうと、普段歩いている道も深夜とかに歩くと全然違うなぁと感じる。物事の多面性というか、普段何気なく見ている味気のないものも、実はものすごく不透明で、深みがあって、一目見ただけでは全体像を掴めないようなものなのかもしれない。

報告するほどでもないかもしれないが、最近、ポエマー男子をしている。
書くほうではない、読むほうだ。
今はミーハーだが、谷川俊太郎の詩集を読んでいる。

詩というものは自由なようでありながら、厳格なルールが静かに敷き詰められていて、しかもその中で、「その言葉」を使わずに「それ」を表現するわけだから、本当にすごいなあと思う。

演奏する楽しみと、演奏する事の責任

昨日ブログに書いた通り、今日は埼玉県のふじみ野市にて演奏を行ってきた。

ソプラノを調整してからの本番であったので、良くも悪くも今日の演奏は今の自分の実力なのだと思う。
音大生という立場を甘い考えで利用するつもりは無いが、かといって、プロと言える精神があっても実力がまだ足りていないと事実である。自分のベストを尽くす限り、失敗もついてくる部分はあると思う。
現在の音楽的な思考からの観点で書くので、あまり演奏会の楽しかった〜♪のような記事では無いかもしれないが、ご了承頂きたい。

カルテットで演奏する事の楽しさも、難しさもかなり切実に痛感した本番であった。
少ない練習時間の中で高いクオリティで演奏する事の難しさや、ソプラノという楽器が持つ性格、それをコントロール出来る技量、そして本番中というプレッシャーの高い中で通常通りの演奏を繰り広げる精神力…様々な点において難しさというものを痛感した。

編曲も、今日のために新たに4曲、古いが評判の良い物を含めて5曲演奏させていただいた。
プログラムは都合のため全てを記載する事は出来ないが、特に、「ふるさと」はこの演奏場所を実際に見て、そこから着想を得て新たに前奏、間奏、後奏を書き加えた。
しかし、やはり自分の語彙をフルに使ったとしても、それがメンバー全員に必ずしも短時間に伝わる保証は無いし、合わせの段階からもっと良い演奏をするために自分自身が努力出来る部分もあったのかもしれない。
そこの甘さが、今回の自分にとっての1番の反省点であったように思う。

お客様の暖かさに助けられた本番であったと思う。自分の実力の足りなさに情けなささえ感じた本番であった。
とはいえそれほど、悲観的になっている訳ではない。もっともっと知るべき事やるべき事を見いだせた本番だし、また明日からもっと頑張って準備していきたいと強く思える本番でもあった。音楽という芸術の可能性は本当に広いし深いし、その完結するポイントは本当に遠くにあって、やっぱり難しいなあと思った。

しかし皮肉な発言になってしまうかもしれないが、久しぶりに、全く手を抜く事無く合わせを出来たアンサンブルであることも事実で、そのような過程をメンバーの皆と踏めた事は大きな経験であり、最も良かったと思っている部分でもある。やはり、プロセスを大切に出来なかった結果は、たとえ良かったとしてもあまり心に残らないと強く思うのだ。
もちろん、ソロであればピアニストとの1対1であるので、いつであっても最良の演奏にかなりこだわりを持って演奏するが、アンサンブルとなると、なかなかそうもいかない。しかし、今回はちゃんと本当に言いたい事をしっかり言いあいながら合わせていけたと思うし、そういうことが出来る人を大事にしていきたいと思った(集合時間遅刻したけど(すみませんでした))。

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音楽家として当然の事ではあるが、自分たちが楽しいだけでは、伝わる音楽としては不十分だと常に思う。
しかし、自分たちが楽しめない音楽に、誰かに伝わるようなメッセージがあるとは思えないし、ただ機械的に、ストイックになるだけというのも間違っていると思う。
自分が楽しめるだけの精神力を持つという事は、本当に大変だ。
自分の出来ない部分や至らない部分さえもしっかり目を向けて、でもそんな至らぬ自分もひっくるめて自分を愛せなければ本当の意味で楽しむという事は出来ない。
コンクールではない本番で、お客様との距離が近い本番では、常々思ってしまう。
どのような演奏が、本当に人に求められている音楽なのか、自分が聴いてくださる方に出来る事は何なのか。
音楽は第3次産業である、サービス業である。
お金を払ってまで、必要なものかと聞かれたら、残念ながらそうではないのかもしれない。
しかし、音楽は絶対に我々にとって無ければいけないものだと自分は信じて演奏しているのだ。
だって、自分は、聴きたい時に聴きたい音楽を生で聴ける幸せを知っているから。
どうしても絶望してしまったときでさえも、音楽という存在が人を助けられうる事を自分は知っているから。
別に、今の自分には衝撃的な演奏なんて、そんなすごいことはまだ出来ないかもしれないけれども、でも、何かプラスのきっかけになるような事は出来るんじゃないかといつも信じて演奏している。

やっぱり、まだまだもっともっと考えも突き詰められる気がするし、もっともっと上手くなる余地も再確認出来た本番だった。
もちろん、実際感じた感想は「楽しかった」というポイントも本当に大きいし、今日という日を過ごせて本当に良かったと思っている。
また、次からはもっともっと良い演奏を目指して、頑張りたいと思う。
本当に、もっと上手くなりたいと思った。

上手くなりたいと思える事が、周りにたくさんあって、本当に幸せだと思う。
次の演奏ももっと、自分も楽しんで、皆様にも楽しんでいただけて、誰かの助けになれたりすることを強く願って、明日からも練習頑張ろう!と思いました。
今日関わってくださった皆々様、本当にありがとうございましたm(__)m

明日、編曲作品を5曲も演奏させてもらいます、ってすごい幸せな事じゃないですか????

明日は器楽学科管楽器専攻の2年生は試験であるが、自分も自分で本番があり、友達の演奏を聴くことが出来ない(前期の自分の研究演奏来てくれた人、行くことできなくて本当にすみません…)。



埼玉県はふじみ野で、カルテットのコンサートをさせていただく。
メンバーは、ソプラノから順に、吉尾悠希、吉川優花、金澤ニコラス、小松秀介。


終電ギリギリまで合わせて食べてみんなで帰る、というルーティンがあったカルテットだった。ポップなジャンル中心で、そして編曲した作品を演奏できるということで、かなり楽譜や演奏の試行錯誤に時間をかけながら準備した。

演奏曲も7曲とかなりボリューミーだが、サクソフォーンの魅力を多面的に楽しめるプログラムだと思うので、その楽しさが伝わるように頑張りたい。
これも嬉しいのだが、オリジナル作品として伊藤康英さんの琉球幻想曲を取り上げる。
ずっと好きで演奏したかった曲で、本当に楽しみだ。

今回のみならず、自分自身で編曲するということに関しての大きなメリットとして、やはり等身大の自分というか、自分の語彙をフルに使った演奏を出来るというポイントは非常に大きい。

言い方を変えれば、自分自身の力量が楽譜に全て出てくるという、恐ろしいものでもあるが、この挑戦はいつでも楽しいものがある。
時には、演奏が本業であるゆえ負担になることもあるが、それでも逆に練習が詰まった時に助けてくれうる存在でもあるし、その逆も然りである。

いつもと同じ心意気ではあるが、明日も聴いてくださるお客様に楽しんでいただいたり、そして自分の目標でもある、サクソフォーンという楽器の面白さや、音楽の魅力、そして何かのプラスのきっかけの一部分になれるように、精一杯演奏したい。

以前ブログを更新してから、またまたブログを書くのが楽しくなってきた。合間の時間を見つけて運営したいと思う。

マルタンのバラードのこと

憶測に過ぎないが、彼がバッハのことを常に意識していた事は楽譜からも読み取ることが出来る。

フランク・マルタンはフランス系スイス人の20世紀の作曲家である。自分自身マルタン作品は意識的に色々聴くようにはしているが、総じて印象が薄い。正直に言うとね

がしかし、そここそマルタンの真骨頂というか、いわゆる現代音楽でも同じことが言えるのだが、ライブで聴いた時のアツさというのは、言い表せないものがあると思う。
マルタンの音楽を敢えて言葉にするのなら、冷淡な空気感の中で、不協和な和音をあくまでも繊細に鳴らし、そのなかで調性の有無を曖昧にさせながら勢いと広がりある旋律を奏でていく。

彼のバイオグラフィは、このブログで紹介するよりも詳細で、しかも有名なページもあるので割愛させていただくが、彼の作風を語る上で、重要な抑えるべきポイントはいくつかある。
その中でも今回は、「バッハからの影響」という所から、お話を広げていきたいと思う。

彼は10歳の時にバッハの「マタイ受難曲」を聴いたそうだ。その時の感銘は大変大きく、この体験から、彼はどれだけ曖昧に聴こえる響きの中でも、調性感と和声感は一貫されて大切に扱われるようになったのではないかと想像される。

それだけにとどまらず、マルタンのサクソフォーンのためのバラードには、音形の中にもバッハへの想いと受け取れるものを見出すことが出来る。

続きは後日。

9月雑感

面白い録音を見つけた。
カナダのとある奏者の録音なのだが、民謡色溢れたサクソフォンとピアノのための曲をいくつか新しく知ることが出来て久しぶりに新しい曲に出会えて嬉しかった。

この夏休みも去年に負けないくらい、悲しいほど音楽ばかりやっていた夏であった。
自分の音楽の感性を磨くためにももう少し色々な経験を踏んでみたいものだが、その辺りの努力はやはり足りなかった気がする。
刃を研ぐということも大切な努力の一つだと思う。頑張ろう…

ブログの更新頻度が落ちた理由は、多分、面倒くさいとかではなくて、わざわざ人に知らせる意味を感じられなかったからだと思う。
この理由から自分は、以前は自分のブログは自分のために書くものであったが、今はそうではなく、かなり周りの目を意識したSNSのサービスの1つとしてブログを意識しているのだと思う。
正直こうなってしまっては全く自分の意見や考え方を文章にしておく意味はないので、いっそのこと書く気が起きるまでストップ、という決断を無意識的にしていたのだと思う。


とか言って書くと、もうこんなブログはファッションみたいなもんになってしまうのだが、ファッションだろうとフィクションだろうとブログ自体は好きだと思うし、無いよりはあった方がいいと思う。ファッションだろうとフィクションだろうと。笑

嬉しい本番や自分で出演を決めた本番、そしたて今年のコンセプトであるレパートリー拡大等、やりたい事は出来ていると思う。先で後悔の無いように活動していきたいと思う。
そのためにも自分の意見や考えはまずはどんどん伝えていかないといけないし、それで相違が出たらしっかりとお互いが納得する所まで向き合って生きていきたいと思う。

とりあえず、今日はこんなもんにしておこう。