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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

悲しきかな、それとも

先日は、コンクールがあった。
実名のブログだし、大体情報なんてダダ漏れしていくものだから思い切って思ってることを記事にしたいと思う。

最高位という成績は2回目だ。
ただ、そのたびに思う。

また、というか、まだ、1位にふさわしい演奏じゃない、と。

まだ、自分には自分自身で向き合わなきゃいけない課題が、それこそ人前で演奏するよりも前にしなきゃいけないことがたくさんあるんだと、改めて思った。

そして自分自身の演奏を根本から変えたいと思った。今のままでも音楽になるかもしれないが、クラシックじゃない。基盤にあるものが全然違う。

と、ネガティブに話したくなる所が多い今年なのだが、それと同時にやっぱり周りから呆れられるほどにポジティブじゃないとやってられないなとも思った。

もっと、サックスを、自分に対しての可能性を、明るく、希望を持って語れる人間になりたいなあと思った。明日からもがんばろ。

年内最後の

年内最後の中学校指導。
こちらは基礎的なレッスンを継続的に行っており、力がぐんぐん伸びていく生徒さん達を見るのがこちらとしても嬉しい。

テナーというかサックスの話というか

※若干変な記事かもしれないので、ご了承くださいm(_ _)m

最近はテナーサックスの練習に意識的に時間を割いている。自信を持って言えるのだが、今までで1番さらっている時間が短いと思う。

本当にステキなテナーの音色とはどのようなものであろうか。
今の自分の印象では、テナーに関してはソプラノやバリトンに対して音色のアイデンティティに割と欠ける印象を抱いている。
正直、楽器的に見ればアルトもそうなのだが、アルトはクラシック界隈では人口が多いためか、あまりサックス属の中ではそのような印象は抱かない。

そもそも、サックスという楽器そのものが、音色として際立った特徴を持っていないように思う。例えばフルートなら澄んだ音がし、クラリネットなら純粋な音色が、オーボエやファゴットは明瞭な発音が聴こえてくるが、サックスはどんな特徴を挙げられるだろうか?
かなり曖昧だと思う、ただ漠然と美しいだとか、響きが豊かだとか…。
はっきり言ってサックスはそういう意味で、目に見えるような弱点は少ないのかもしれないが、その分何か「これだ」と言えるようなものは少ない様な感じは正直否めない。
演奏の印象とは、引き算ではなく足し算なのかもしれない。

アンブシュア

今日は思いがけず練習時間をたくさん取れた日だった、久しぶりにまともに練習ができた。

最近はとにかく奏法研究している。
特にアンブシュアや息の方向コントロールによって生じる音色そのものや変化に興味が向いている。
何かを得るために、1時は何かを蔑ろにしなければいけない。もどかしい時期ではあるが、一つずつ、自分の言葉を増やしていきたい。

山眠る 朝の日差しの 静けさ

山眠る、という季語があるらしい。

葉の落ちた冬の山の中に差し込む太陽の光。
冬の肌寒さと、日光のか細い暖かさと、はるか遠くまで続く静かな空間を、山を擬人化して表現した言葉だそうだ。
全く、現代の人間が思いつくような言葉ではない。なんと美しい言葉であろうか。

郭熙(かくき)という、約1000年前の中国(北宋)の言葉であった。

勉強をやめてしまって久しいので、漢文もあまり満足に読めなくなってしまったが、それでもいいなと思えてよかった。
この出典である臥遊録では、郭熙は冬の山について、惨淡というふうに残している。
確かに、新緑芽生える春、青々とした夏、感性滴る秋に比べて、冬がもたらす寒さや静けさはそれほど喜ばれないものなのかもしれない。

しかし自分は音楽をしているからだろうか、趣味が一般からして並外れてしまっているのか(悲しい意味で)、静寂や、動きのないものに、強い魅力を感じることがある。
音は、無音の瞬間があるからこそ生きるのだ。
喧騒の中に咲く音の花がいくら美しかろうと、その音楽になんの価値があろうか?
もちろん、喧騒を音楽とするものは話は別だが。

多分、音楽は、もっと静かで か弱い。誰も、演奏者でさえも、なんの空気を発することも許されないくらい。
しかし、絶対に折れないが、それでも、大変なたおやかさを持っているようにも思う。

東洋独特の感性なのかもしれないが、東洋のクラシック音楽くらいは、そのような雰囲気感も大事に音楽したいものだ。がんばろ。

リュエフのソナタ



ずっと疑問だった。
何故、この無伴奏サクソフォーンのためのソナタがディファイエへの愛の歌なのか。
しかし、自分なりにではあるが、答えを見つけた。
後期試験でプログラム中に取り上げるので、その際にご来場くださった方に、(自分で言うのもアレだが)渾身のプログラムノートをお贈りしたいと思う。

自分が勉強した限りの話だが、ラヴェルもクープランの墓の際そうだったように、フランス人が特別に誰かへの想いを込めて作曲した楽譜ほど、美しいものはないと思う。

リュエフのソナタなんて、一見聞いたら「よく分からない」という人の方が多いかもしれない、しかし、逆なのだ。音形に隠された想いを拾うのは演奏者と聴衆の役目だ。なんと味わい深い曲であろうか。
この曲を勉強できて本当に良かった。
まだ前半戦なのだが。これからこの曲の難しさにうち引かれて嫌だー嫌だーってなるのかもしれない。笑

アンブシュア柔軟

ウォーミングアップと基礎練習を兼ねることは多いが、若干非効率でもウォーミングアップのためのロングトーンと、基礎練習のロングトーンは別物として考えた方が良いかもしれない。

言い換えれば、アンブシュアを安定させるものがウォーミングアップだと思うし、新しい奏法を手に入れるための練習、または幅広く応用を効かせられる技術を磨くのが基礎練習だと思う。

練習ノート



先日、使っている練習ノートが6冊目を迎えた。
ちなみに1冊目は高校2年生の時のもの。

中学3年生~高校1年生の時も書いてはいたのだがルーズリーフだったり、当時からのだらしなさも相まって紛失してしまった。

高校時代~浪人時代は1日あたりに書いてあることがとても少なく2冊で終わっているのだが、大学に入ってからはもう4冊目になった。
やはり、自分自身の時間を作るために入っただけはあると思った。このペースで行くと大学在学中に8冊書くことになるわけだが、果たして毎日書き続けられるだろうか。

最近マイナス思考になることが増えた気がする。
あんまり良い傾向とは言えないので、良い意味で図太く、図々しく、無神経に生きたい。

練習

今日は学2ブラス本番だった。

その後の練習の中で、自分の中の技術の進歩に反して、どんどん、決定的に足りない弱点のようなものの存在が大きくなってきた。
どうしたものか。

もちろん、努力してどうにかするしかないのだが。
自分が「こうだ!」と言い切ろうとする度、本当にそれでいいのか?もっと他に気にしなければいけないことがあるのではないか?そのようなセルフ1の言葉が舞い降りてきてしまう。
それは、しっかり自分自身で向き合ってひとつずつ解決していかないと「こうだ」と言える演奏は出来ないということだろう。
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