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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

読書家なう

最近、マーケティングの本を読むことにハマっている。

音楽家は言うならば自営業だ。
もっと平たくいえば社長だ。だから、演奏という「体験」を提供するその方法を学ぶのも一つの勉強かなということで、簡単なものを読んでいる。
クラシック音楽の分野において、特にサックス音楽に関していえば、その顧客ターゲットはかなり絞られると言える。現状、日本人の気質とクラシック音楽は必ずしもマッチしない。というのも日本人にはそもそも時間が無い。忙しすぎるように思う。だから1曲4-5分で、ビートがハッキリしていて、爆音で、自分たちも騒げるロックなんかを聴いている方が面白いのも、超納得だ。わかる。だって音大生見ててもクラシックそっちのけでそういうの大好きな人をたくさん見ている。(もちろんクラシックもちゃんと学んでいるし、自分だってロックとかポップスで好きな音楽もある。あるよそりゃ!)今のところクラシックは迎え撃つ手無し。(いや、もちろんそれを試みている企画だってたくさんある、ランチタイムコンサートとかも本当に良い企画)
けど、クラシック音楽でも、そういうことを打破できる手段があるんじゃないか?というのを考えている。考えているだけで、答えはまだない。
ただ、とりあえずやれることはたくさんやった方がいいというのは、ある。から、今年は色々動きたい。演奏も上手くなりたい。
今年は欲が多い。笑

理想やアイデアに溢れている瞬間こそ、一番キツイ時だと思います

最近はよく仕事の仕方を考えている。
演奏はもちろんしたいのだが、それ以外の所でなにか出来ないかなあ、と。

そうして、思いついたことがいくつかあるのだ。まあ、演奏以外にも漠然とした夢が生まれてきた訳である。が、まだ何もしてないし、それは想像の上での成功でしかないから、やはり現実を直視し直すときつい部分がある。

しかし、それをこれから自分が信念と行動を続けることによって、もしかしたら実現できるかもしれない、ということはモチベーションになる。

夢を叶えるというのは、ゴールのことを言っているのではなく、その叶えている最中のプロセスこそが、夢を叶えている瞬間なのだと思う。
我々音大生が音楽に携わる仕事をするために、一生懸命に努力や練習を重ねている今こそが、夢を叶えている瞬間なのだ。

ということは、夢を叶えている瞬間が1番しんどい時だし、なのに夢を叶えている時が1番幸せであるという、矛盾が起こる。
しかし自分自身は、この夢を叶えている時がいつでも幸せとは言えない。しかしそれでもいいと思う事にした。だって、自分への投資が必ずしもいつでも楽しいわけがない。
そういう波も含めて全部「夢を叶える」だ。
練習も、様々な人が音楽文化を通じて幸せになれる社会を実現させることも、それを実現してもまだ「夢を叶えている途中」だし、もちろん、今どこかに向かって迷走を続けたり、上手くいかなくて凹んでいる時も「夢を叶えている」ということだと思う。

という気持ちで、これからも頑張ろうと思った。ポジティブシンキング。笑

充実の日曜日



今日は朝バイトして、エルクハートクインテットの演奏を聴きに吉祥寺へ。
時間に余裕があったので、井の頭公園を散歩した。



会場近くの雰囲気の素敵なお店でカレーを食べたのだが美味しそうすぎて写真を撮り損ねた。写真はセットのサラダ。豪勢だ。



デザートも大量にセットで付いてきた。感動して思わず「すごーい」と言ってしまってお店の方に笑われてしまった。笑

エルクハートクインテットの演奏は初めて聴いたが、音楽のパフォーマンスのみならず、笑いをきっかけに会場全体を1つにまとめあげようとしながら演奏を繰り広げていくスタイルは、とても素敵なものであった。
同世代の奏者としてさらに進化したサウンドを未来に期待したい(何様だ笑)と思ったと同時に、自分自身も自分なりの方法で良いものを繰り広げていけるように努力したいと思った。

演奏者としてのアイデンティティを確立させること

今日は新しく家に来た車を運転して登校したwith父。休日の気分転換を言い訳に半分くらい送らせてしまうようなことをしてしまい申し訳ない気持ちがないでもないが、楽しかった。
自動運転じみたことも体験した。ビックリした。

さて、今日は2年生のサクソフォンの学生の試験を聴いた。
いや、自分も2年生でサクソフォン専攻の学生なのだが、試験日が違うため、今日は皆の応援に出向いた。

入学して丸2年になると、初めて演奏を聴いた時よりも大分変わったものを感じる。
技術や音楽性の成長がたくさん見えても、その人その人の特徴は変わらず持っている。不思議なものだ。

思うところは色々あるが、演奏をする上で、大切なことの一つに、「アイデンティティ」というものはあると思う。これに、演奏者至上とか、作曲家史上という概念は関係ない。それも含めてアイデンティティだ。
自分であればこのように演奏する、であるとか、自分はこの空間にいる人々にこのようなことを伝えたい、など発信する気力と言えるだろうか。
これは自分が以前書いた、「音楽に追われる、音楽を追う」という考え方と少し似るところがある。
音楽とは、その演奏自体がメッセージだ。
どんな場でも、伝わるものは伝わる。理由はわからないが、この意見を否定できる人はそういないであろう。悪魔の証明のようなものだ。
人間の演奏の真骨頂とは、このメッセージにあると思うし、これを伝える為に我々は飽きずに練習をし続けているのだと思う。

観客にドラマの世界を体験させるようなスケールの大きな表現。
言葉にできない自分の気持ちを、メロディに乗せて静かに告白すること。
絶対に人に譲れないようなあつい気持ちを、高らかに歌い上げること。
作曲者が音楽を通して伝えたかったことを伝道すること…
…これ以外でもなんでもいい。とにかく、そういうメッセージがあるから演奏は価値があるし、人々に愛されるのだと思う。
それは、楽譜には絶対に書かれていないし、なによりも、楽譜通りに演奏するだけでは絶対に伝えきることは出来ない。
楽譜通りに演奏することは本当に難しい。が、ここで言う意味はそういう事ではない。
楽譜に書かれたこと、つまり自分の周りから受け取った情報をそのまま再現しただけの演奏。これが楽譜通りの演奏だ。そしてそれは、本当に勿体ないのだと主張したいのだ。
逆に言えば、どれだけ不安な演奏でも、メッセージを強く感じる演奏は「聴いていたい」と思う。(たまにしんどいメッセージがある事もあるが)

つねづね思う。
自分が音楽を通して、無意識に伝えようとしている事は何なのか?

それは、日頃の端的な行動や発言に表れるのだと思う。
試験やコンクールや、目の前のやらなければならない事に追われて、本当に自分が音楽を通して伝えたいことは絶対に忘れてはならない。
強い自らへの自戒として、敢えて記事に残しておく事とする。
それと同時に、自分自身が音楽という言葉を持って人に何かを伝えられる可能性を信じて、明日からの鍛練により一層の気合を入れたいとも思った日であった。
とにかく、みんなの演奏を聴けて良い刺激をもらった。自分も自分のできることを頑張りたい。

彩ある生活を送りたい



買ってみた。結構美味しい。

そして、今日帰りながら聴いている曲は、マーラーの交響曲第2番。長大な曲ゆえ音楽の内容は覚えられなくとも、メロディーの美しさを楽しみながらの帰路は趣深いものを感じる。

今年は、とにかく色んなものに触れる年にしたいと思っている。行動の年というか、まあ、そういう年だ。

とにかく、音楽のアイデアをたくさん仕入れて、それを編曲やモノマネで自分なりに咀嚼して、語彙を増やしていきたい。
そして、今の実力では笑われてしまうかもしれないが(もちろん、それを知った上で気にしないことも決めている、やりたいことや高い目標があって何が悪い)、今年もコンクールにたくさんチャレンジしたいと思っているが、1位を取りたい。たくさん。
色んなことに対して自分に正直に生きたい。

去年は、音楽に「追われる」生活だった。
しかし、今年は音楽を「追う」生活をしてみたい。
正直、「追う」という感覚はどのようなものなのか、言葉に出来ない。
もしかしたら、既に「追う」ことは出来ているのかも分からない。
この感覚を在学中に知ることは、将来音楽家として活動していくためにとても大切な事になって行く気がするのだ。
もしかしたら、気持ちの持ちようなのかも知れない。分からないが、とにかく追ってみたい。

今年の目標にしていることが、少しずつながら前進し始めているから、このような記事が書ける。
案外好調な滑り出しかもしれない。
勢いを乗せていきたい。

試して どう聴こえるかですよね

ソロイスト。どうも高音域が気に入らない。
ほぼ原因は自分の奏法なのだが、響きではなくて、マテリアルな音でフォルテが聴こえることがちょっと嫌だ。
そして、音色の選択幅が多すぎて、菅を長く使う音の時に音色がかなりブレる。非常に不安定で危なっかしい。

しかしこれも、実際に響くところで聴いた時にどの様に聴こえるのかが全く分からない。
難しいところであるが、こういう時に奏法を丸ごと変えて、しっかり対応できるように音色のバリエーションや奏法に対する柔軟性を広く自由に持っておきたいものだ。

試験まであと10日を切った。
少し焦り気味ではあるが、着実にこなしたい。
ソロイストでソロイストになる初の本番だ。楽しまなければ。

暗譜

暗譜が前よりも遅くなった。

そもそも、今までさらった曲はある程度の先入観というか、楽譜を見なくてもすぐに少しは口ずさめてしまうくらい有名な曲ばかりさらっていた、ということもあると思う。
それに加えて、さらう曲数が高校時代などは少なかったのだから、暗譜を目標にしているのならば、割とハードルはそれほど高くないことは想像に難くない(もちろん、得意不得意はあるし、暗譜自体がとても難しい事であるのは最近自分自身でも思うところがある、後述する)。

暗譜に対するこだわりというのは、自分自身は強い方かもしれない。なるべく、可能な限り(というか、自分との約束として)暗譜はする。暗譜出来るほどに時間をかけていないと、その曲が自分のモノになっているとは、個人的には言えない。(もちろん、楽譜を見て演奏している方で素晴らしい演奏をしている方はたくさんいる。あくまで自分を納得させる手段の話だ)

暗譜が最近出来なくなってきたと書いたが、原因はいくつかあると思う。

1曲に対して時間を単純に掛けられなくなった。
音源や実演などによる先入観がある曲をさらうことが減った。
暗譜に対する苦手意識が芽生えてきた…というか、それに準ずる精神的なもの。

練習時間はかなり長くとっているにも関わらず、曲が覚えられないという矛盾がある。
おそらく、練習していない時に意識的に楽器から離れている、というのも大きな原因の一つだと思う。登下校中、楽しみとしてクラシック音楽を聴くというよりも、演奏者の語彙を引っ張りだそうと必死になって聴いている。それも、今さらっている曲はまず聴かない。二番煎じをかなり恐れている。
ほかの曲や、ほかの楽器からの語彙をどうにかして盗もうとしているのが最近だ。

暗譜もそろそろ、方法論を確立させた方がいいかもしれない。自分なりに。

髪切った

ブログに書くほど一大事なのは、自分の近くにいる人は良くわかると思う。

初、ツーブロック。
これから毎日オールバック。
習慣にするまでひたすらしんどいかもしれないが、頑張ろう…今年の目標のためにも…自分のためにも…。
ぜひ今後の改善のためにも、見かけた人はご意見をお願いします…ひー…

真似事に学べ 二番煎じを恥じよ

今日はレッスンだった。

自分の中で当然と思っていたことで、ずっと可能な限り実践していたことがある。
楽譜を目で読むということだ。

しかし、案外忘れていたようだ。
無意識のうちに、音楽に先入観を持って演奏してしまっていることがあるようだった。

演奏者は演奏者自身のオリジナリティを否定することが出来ないからこそ演奏者は存在意義というものがある。
耳で読んだ音を発しても、それで価値ある音を作るのは残念ながら難しい。

語彙

アドリブとは、語彙の量のほかならないと思う。
響きだけただそのように演奏しても、本物には程遠いのだろうなと思った。
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