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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

T20



今回テナーで演奏する時のセッティング。
T20に、V12の3.5、そしてバンドレンのマスター!

試験で使う楽器はSA80IIラッカーなのだが、良い。
コントロールの感覚などもアルトとはまた違うが、それはそれで面白い。

しかし、音抜けと音程感が難しい。。
鳴りすぎで音色が乱れたり、アルトではそれほど気にしない音域での音程など、意識するポイントが、(当然といえば当然なのだが)まるっきり違っていて、それはそれであと1週間と少しの間で克服しないといけないなと思う。

そしてミクション。
我流で演奏を続けて、なんとか曲が再現できる所まで来た気もするが、本番当日のトラブルが起きないことを本当に切に願う…。
この世からしたらもうありふれた音楽のひとつだが、自分としては初めてだらけの経験で全くの手探りで不安なところも多いが、これが上手く行けばコンサートでも挑戦してみたい。とも思う。あとおさらい会とかでレパートリー増やせたらなとも。

近日中に改めて自分の言葉で曲目解説を書きたいと思う。

幕張メッセへ行ってきた

急遽、という単語がこれほどピッタリ来るイベントも無かっただろう。
職場の方に急遽ライブに誘ってもらった。
UNISON SQUARE GARDENというスリーピースのバンド。

朝、急にお声が掛かったので、とりあえず急いで4時間ほどさらってから再度集合。

実は海浜幕張に降り立つのも、幕張メッセに入るのも初めてで、駅周辺の爽やかな賑わいも、幕張メッセの会場の熱気も初めての経験で、とても新鮮な感覚だった。

ロックバンドが、このような大きな会場で演奏するものを聴くことも初めての経験で、それも新鮮だった。

会場全体を飲み込む轟音に、力強く刻まれるビート。
こりゃまあロックやポップスが面白くなるわけだ。

恥ずかしながら、UNISON SQUARE GARDENの名は今日初めて聞き、せっかくならと空き時間でヒット曲くらいは一通り聞き流す程度に予習したのだが、これ、ちゃんと知っていたらもっともっと楽しかったんだろうなとも思う。

すぐ影響を受けるので、こういうのを聴くとインストバンドをやってみたくなったり、クラシック以外の音楽もどんどん勉強したくなってしまう。
モチベーションあるうちが華だし、なんかやってみようかな…

思いがけず面白い日曜日になった。
練習だけで終わるかと思っていただけに良い週末だ。

今年のブログ更新方針

今年はブログは不定期更新にするつもり。
理由としては、去年のうちに無理やり更新しようとしてものすごいクオリティの低い記事を書くことが多かったため、自省を兼ねて、今年は数は少なくともクオリティの高い記事を書いていきたいと思うようになった次第。
それは楽器の方も多分同じで、今年はすることを絞ったりすることで、一つ一つの自分のできることを着実にこなしていくようにしたいと思っている。

奇跡は減るかもしれないが、最善を尽くせる可能性は上がると思う。

クローバーサクソフォンカルテットリサイタル2018


クローバーサクソフォンカルテットのリサイタルを拝聴した。

自分がコンサートの感想をしっかり書くこと自体失礼なのではないかと思う。が、やはり文字に残しておけばあとから自分でこの文字列の意味も反芻できると思うので、書いておこうと思う。

アンサンブルの妙を言葉通り体験した演奏会だった。
今まで自分が経験したアンサンブルは、もちろん経験としては素晴らしいものばかりだったが、今日体験した演奏の内容は、奇跡のようなアンサンブルだったと思う。

我々の経験したアンサンブルは、技術の未熟さもあるから致し方ないところもあるが、予定調和のアンサンブルで、予め「ここはこう、ここはこう」と、言葉で組み立て、やっとどうにかしてひとつの曲が完成するというものかもしれない。
だから音楽にズレとか生まれるのかなとも思う。
本当にアンサンブルというものが成り立っているのであれば、その場その場で柔軟にタイミングはもちろん、音色、音程や音楽でさえも正反対の方向にさえ流すことが出来るのではないかと思った。

そして、選曲も(特に後半の方においては)クローバーカルテットの「手に馴染んだ」作品たちで、それは作編曲が自身のものであったり、長い年月をかけて培ってきた信頼関係や音楽の累積の賜物なのだろうと深く感動したと同時に、将来自分に、そのような感想を持ってもらえるようなアンサンブルを出来る瞬間は生まれるだろうかと自問した。

室内楽発表(明日)

明日は室内楽発表。
いろんな意味でヒヤヒヤしているが楽しく吹きたい。
新しいテナーリガチャーもお披露目。

門下おさらい会

今日は門下おさらい会だった。
昨日の記事に書いた3曲を演奏した。
伴奏付き、テープ付きという組み合わせでは初めて。

感想。無。😅笑
冷静になればこれからふつふつと出てくるのかもわからないが、とりあえず今はもう ぐったり。ただそれだけ。😅

単純に曲のことを全然まだまだ知らないなとも思うし、演奏するための技術や、その曲に対する経験値も全然足りていないように感じる。
余裕とかも全然無いなと 録音を聴いているだけで分かるから、実際に聴いていればもっと大変なものだったかもしれない。

必要な技術や音楽を冷静に考え直しながら、また来月の試験に向けて着実に準備していきたい。
とりあえず。うん。がんばろう。。

自分で設けた壁くらい

今回の試験曲。

Shumitt : Legende op.66
Jodlowski : Mixtion
Nina Senk : Impetus

思いのほか名曲の多いプログラムであるが、これほどしんどいプログラムは今回限りにしたい。😅笑

プログラム上最も有名と言って差し支えない後期ロマン派のサクソフォーンのための名曲、シュミットの伝説。
標題音楽としても、近現代の扉の鍵となるという意味でも、後期ロマン派と言われる時代の曲であるという意味でも重要な作品で、さらにその曲の完成度の高さといい、表題的な美しさや奥深さと言い、本当に文句のつけようのない音楽だと思う。
音階の4つの音を巧みに組み合わせた動機はフリギア旋法のような不安定な形相を見せて怪しい雰囲気を醸し出すが、やがてそれはエオリアやトライコードなど、様々な音階の形へ少しずつ姿を変えながら、太古の壮大な世界観を繊細な表情で語り続ける。


ピエール・ジョドロウスキのミクション(混合)はテナーサックスとライブ・エレクトロニクス(電子音響)のための作品で、IRCAMとパリ音楽院の委嘱で2002年に、2003年の卒業試験曲として書かれた作品。ライブエレクトロニクス自体、学部生として試験で演奏することは初めてらしく、色々な方面から支援を受けながら、この曲の演奏をすることになる(この場をお借りして、協力してくださる皆様に改めて深く感謝申し上げます)。
フランス人のライブエレクトロニクスということで、「こんな音まで!?」というようなものもサウンドに貪欲に取り込み、さらにテナーサックスの音楽的かつ有機的な音符群とのアンサンブルが魅力的。

ニーナ・シェンクのインぺトゥスは、前回のノバゴリツァサクソフォンコンクールでの課題にもなった曲で、日本語に直訳するのなら駆動力とか、勢いとか、動きの程度に関する言葉が当てはまる。
サクソフォンは音域をとことん拡張され、スラップやキークリック、重音、即興演奏などありとあらゆる「常軌を逸した」音楽を展開することを強いられる。
その音楽の勢いはまさにすべてを飲み込み尽してもまだ足りないようなエネルギーが溢れかえっているとも言える。


さて、まあこんなものなのだが、もう、本当にどうしてこんな曲目提出をしてしまったのか、全く数ヶ月前の自分の脳内が理解できない。
ただ、自分でやると決めたのに諦めるのは絶対に嫌だなと強く思う。これを乗り越えないと、今年やりたいことなど何も出来ない気がする。
いまのところ相当絶望的である…
そして、無理やり難しいパッセージを吹こうとするために物凄い力と圧が口の中で掛かっていると、ここ数日の演奏を自分で省みた結果に思った。
脱力というのは、東京から大阪までを何度も何度も色々な方法で歩いた結果に、やっと少しずつ最短ルートを見つけるというような感じだとも思うのだが、そういう意味では本当にストレスなくこの曲たちを吹くのは至難かもしれない。
しかし、意識的に近道を探そうとすることは、少し演奏中に集中すれば出来るはずなので、それくらいの悪あがきはしたいものだ。

バンドで

吹奏楽をやっているとどうも体が凝りやすいと思っていたのだが、今日演奏中にやっと気づいた。
結局、座って演奏しているままだと体がどんどん凝っていき、結果的にパフォーマンスも落ちていくのかもしれない。

使うストラップを工夫したり、演奏時の姿勢なども意識しながら演奏に臨む必要があるかもしれない。

そしてやはり、座奏時というのはたいていアンサンブルの演奏になるわけだが、アンサンブルの妙技というのは本当に奥が深いなと思う。それはどのような場所でどのような曲を吹いていても思うことで、今日は今日で、アンサンブル内でのヴィブラートの使い方でパートくらいの音色はある程度変えられる可能性を発見した。
これが本当に正解なのかは分からないが、出来たら出来たで、奏者としての1つのスキルになると思う。

しかし、おととい昨日今日と、一日が本当に長い。明日も長い。。明日は朝練しなきゃな。。。 

冷蔵庫の中身

自分は今実家に住まわせてもらっている立場の人間である、というふうに考えるようになったのはいつからか覚えていないが、普段と違う申し訳なさのようなものを連想させる場面に自分自身が出会ったので、それを書いておこうと思う。

突然だが、もしも読者の方が今家にいるのなら、そして動くのが億劫でないのであれば、冷蔵庫へ行き、その中に無性に食べたいものがあれば取り出して食べてほしい。

その時に何か思うことが出てしまう人は一体どれくらいいるのだろうか。

今日、自分は風呂あがりに冷たい飲み物を何か飲みたいと思い冷蔵庫を開けた。
すると、冷蔵庫の中にあると予想していなかった4個セットのアロエヨーグルトが2つ残っていた。
アロエヨーグルトは自分の大好物で、ひどいときには4個セットのパックをすべて一人で平らげるという無法者ぶりである。
しかし、食べる気が失せてしまった。
おそらくこれは祖父母が買ってきたものであろうが、なんだかおやつの時間あたりに2人でなんだかんだ食べてることを想像したら、これは自分が食べてよいものではないと感じた、そしてその「食べてよい」という概念に今まで気づいていなかったことに気づき、この冷蔵庫の中に置いてある食べ物飲み物、あの棚に入っているカップ麺、階段わきに置いてある飲料水…机、いす…ソファ、、充電のためのコンセント…ありとあらゆるものが、無償(自分自身が何も還元できない形)で提供される場所であることに気づいた。正確には、改めてそれに気づいた、なのかもしれない。

自分自身が望んでこの世に生を受けたわけではないし(結果的に良かったはず)、望んで大人になるわけではないが、この世の理である以上その流れに逆らうべきではないわけなのだからもちろん、自立して働いて、自分自身の勤労の価値を他人に見出してもらいながら、一生を全うすることには何の反感も抵抗もない。
世間の中でいわゆる「大人」といわれる20を超えてもまだ実家で暮らすことを許され、衣食住が無償で整えられ、自分の音楽活動のためだけに音楽活動以外の仕事を出来るということも、考えてみればものすごいアドバンテージである。

しかし今の段階では音楽家を志す、音楽家として職を続けることではは無償で衣食住と自分の感性をはぐくんでくれた人々に還元はおろか、せめてもの安心を生み出すことすら難しい。
しかし、自分自身は音楽で生きていくという気持ちを否定することが全くできないのだ。
これは自分自身の考え方、生き方がやはり甘いのか?

と、まあ、考えても無駄なことであって、とにかく未来から過去の自分を見た時に、「あの時は誰に何と言われようと全力でなんでもやっていた」と自分自身で言えるようにすることだと思う。
そうすれば、多分将来何をやっていたとしても、きっと自分なりの幸せの一つくらいは掴めるかもしれない。
明日は本番2本目。2週連続だししかも吹奏楽。珍しい年もあるものだ。   

昨日は1日がとても長かった。

普通に学校で1日過ごしただけなのにヘトヘトになってしまった。
そういえば、テナーを最近さらう中でコントロールに関して不自由を感じていたのだが、そもそもくわえる深さが間違っているのではないかと感じるようになった。
多分もっと深くないといけないし、多分もっと口の容積は広く取らなければならない。

アルトのコントロールも大変だが、テナーはテナーでやはり別の生き物だと痛感した。。😅
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