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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

今年度はエチュード会です

第1回エチュード会だった。
これは毎週決まった時間に、1曲~数曲のエチュードを人前で吹く。(誰でも参加できます)
30分くらい集まる時間を作ればエチュード会はできる。
毎月おさらい会は一ヶ月に一回でも、人前で曲を演奏することや、毎回の企画、そして場所の確保など正直負担が大きかったし、残念ながら中途半端になりがちだった。多分2ヶ月に1回でも少し多いくらいかもしれない。(でも今年もやりたい)
その点、エチュードは自分の技量に見合った選曲、または課題の克服に重点を置いて、1週間めっちゃさらえばどうにかなるものが大半だ。もちろんそりゃロバとかそういうのはハードル高いけどね。

けど、1週間1曲でも、1年間ずっと頑張り続けられれば50曲にはなる。夏休みとか入れたらちょっと減っちゃうかもしれないが、でも大学四年生という忙しさや、さらう曲に追われて甘えでエチュードを吹かなくなるということは確実に回避出来ると思う。まあ、本当に上手くなりたいなら人に頼らずとも人前で吹くことが無かろうとさらいなさいという話ではあるが、まあこういうものはモチベーションを上げた者が勝ちだろうと思って積極的に続けたい。

なんでエチュードなの?という話はまた後日書きたい。ただハードルが低いという理由だけでやるのには、大学1年間のうちの30分でもかなりの時間投資だ。それに向けて練習する時間だってある。まあまた今度。

今日は自分に、フルート、クラリネットの3人で。
薄々感じていた自分の改善するべき技術の点というものをやはり人前で吹くと実感する。
それは、音楽的な視点の距離感が固まりやすいというポイントにあると思う。
音楽の流れのことを意識して、スムーズな流れができるのは良いが、しかしその流れの全体像に意識が向きすぎて、一つ一つの音のクオリティが落ちる、等。逆も然り。
それもバランス感覚ではあるのだが、割と流ればかりを気にして小さなミスを自分自身甘く見落とすことが多いので、その点を意識しながら、しばらくの時間をかけて改善していきたい。
少しの時間ではあったが、やはり気づきの多い会になると個人的には確信した。
参加してくださった方ありがとうございました。

練習の美学

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楽器を演奏する技術を磨いているときに、色んなことを考える。

(この記事は、とある前提を基にして書いているけれども、その前提は書きません。ごめんなさい。
半分、練習ノートみたいなもんです今日の記事は)

今日の脳内議題は:

エチュードが全然吹けん!!!!!っていう悩みからスタート。
それはどうして?エチュードは、基礎練習的な内容が多く詰まったものが芸術的な曲として昇華されているわけだけれども、それが吹けていないということはやはり基礎が足りていないのか?
と、思って、では基礎練習に戻って、またエチュードに戻っても即効性はおろか、練習効果というものもあまり実感できるような結果を得られなかった。
エチュードを吹く際に何が足りていないのか?
基礎メニューを倍こなしても特に変化なしってなると、単純な技術的な内容だけじゃない。
てかなんならそんなら別にエチュードのために基礎練習ってほぼ意味がないんじゃないか?
でも、技術が足りないから吹けないという答えに、割と至りがち。。
じゃあ、基礎練習をすれば必ず技術はつくのか?という問いを自分に投げたときに、
「やれば技術はつく」という、漠然とした思い込みがある可能性を感じた。
ということで、そのような漠然とした思い込みを回避するために、今一度基礎練習や練習の意味をしっかりと考え直したいと思う。


なんのために基礎練習をする?
自分が曲を演奏するときに、自分が演奏したいように楽器をコントロールするための準備?

自分の表現したい音楽に対して、自分の技術が追いついてこないと感じることがある。
それは、基礎練習が足りていないから?
音楽に対するイメージが完全ではないから?
そもそも、曲を練習する時間が単純に足りていない?(今は自分の練習の内容を顧みると基礎8くらいの割合だと思う)

と問題をここで提起しても時期とか目的によってやっぱり答えはいくらでも変わってくるんだろうなとも思う。
自分自身の音楽という戦いの刃を磨くことそのものは、曲を練習することなのか、それとも基礎をこなしていくことなのか。

自分の技術が足りない、という感想に至るのは、どうしてなのか?
自分の演奏を徹底的にフィードバックして、自分の至らぬポイントを挙げて挙げて挙げて、それを全てこなしたとしても、じゃあ技術があります!っていう演奏になるかというと、多分それもそうならない。「気の利いた」演奏は出来るかもしれないが、本質的に何か足りない気がする。(し、実際足りないものになるのだろう)
では、実際に対峙して演奏をしたり聴いたりして、その場の持つ空気感という概念があれば全て丸く収まるか?
いやいや、youtubeでも心の底から震える音楽なんてもうすでにたくさんある。

多分、自己評価的にも、他人評価的にも、OK,but not specially止まりの演奏なのかもしれない。
このご時世、音楽って文化はどんどん進んできて、楽器を演奏する人々の技術っていうのはものすごく上がってきている。
それでも自分自身は、プロとして活動するために日々練習をしているわけだが、
でも、もうOKと言われる演奏は、もはや誰にでも出来る可能性が大いにある。
のだから、自分にしかない=speciallyな演奏が、自分にとってどの要素が自分をspecialにするのか、
そのspecially溢れる(一つでもいいのかたくさんある方がいいのかは知らないけど)演奏するにはどうすればいいのか?
そういう視点でこれから練習をしていく必要があるのかもしれない。

で、話は基礎練習に戻るわけなのだが。
基礎練習からSpeciallyは生まれるのか?
いや違うわかった今わかった逆だ。
基礎練習でどのSpeciallyを生むか、
エチュード一曲一曲のSpeciallyをどう活かすか、
曲を演奏するときのSpeciallyなメッセージは一体どこにあるのか?

基礎練習では普段の練習に加えた、何か一つの技術の重点的な練習
エチュードの中で狙いになっていることを見極めそれを機械的にこなす技術
曲を演奏する際の、様式、作曲者のメッセージ、演奏者の思い入れとこだわり…

ということで、少し練習の方針を色々考え直すことにする。
続きは練習ノートで…。