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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

いろいろ聴いてみてる

室内楽協奏曲研究の話はとりあえず一旦置いて、イベールの室内小協奏曲の録音を色々聴く。

普段さらっている曲のレコードや音源ってのは聴かない「主義」と言ってもいいほど聴かないのだけれども、その曲の演奏をお披露目するまでの間に、何度かこの様なことも行う。

同期の友達とも話していたのだが、やはり演奏や活動の上で忘れたくないのがバランス感覚というもので、自分の好きな音楽とイベールではかなりの音楽表現の隔たりがある曲を演奏する時に、ある種普遍的な内容の歌とか音楽の流れとか、音色であるとか、たくさんの人にまず、何よりも足を止めてもらうための、誰かと話しを成り立たせるための大前提を確認する作業というのが、自分の演奏研究の大きな目的の一つであるように思う。

もちろんその研究すらも、ストイックに見れば主観的な感想が入ってしまい、本当の意味での客観的、普遍的な演奏を自分の中で作り出すということは本当に至難の業であるが、しかしこれを追求することは、表現者として責任を持って行い続けるべき事であろう。

しかし、面白いのが、普遍的な素晴らしい演奏も、評価の分かれる個性的な演奏も、素晴らしさはどこかにあって、しかしそれでも素晴らしいのベクトルが全く違うところにあるという点は不思議としか表現のしようがない。

とりとめのない記事だが、書きたかったので書き残しておく。

今日はエチュード会だった。あと2回くらいで、今やっているエチュードは終わらせたい。しかし2ヶ月で1冊終わるって素晴らしすぎる。もっと早くからやっておけば良かった。

そして今日は学内演奏会でパスカルのカルテットも演奏した。
これまた大変な曲で、こういう曲の魅力を引き出す力もまたバランス感覚なのかなと思う。

そういえば

テナー買いました(半年前に)
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去年の初秋ごろ、お世話になっているプレイヤーの方に紹介いただいたもので、年末死ぬ気で働き、買った。
かなりハードルの高い買い物だったが、買えて本当に良かったと思っている。
セルマーのシリーズ3で、なんとジュビリー前のモデル。
中期くらいのモデルで、自分でいうのもあれかもしれないが、かなり持っている音色が好み。
素晴らしい楽器に出会えて本当に良かった。もっと良い音、音楽を追求して頑張りたい。

話は変わって、月末のNamaoTonight


これにも、

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こちらにも、
テナーで出演する。NamaoTonightは持ち替えながらの予定。


せっかくなので、動画を。
先日の試験で演奏した、フランスの作曲家、ピエール・ジョドロウスキ「ミクション」。

この曲は電子音響とテナーサクソフォンのための音楽で、本来だったらもう少しスマートな演奏もできたかもしれないが、
試験という特性上オペレーターなどを用意することもままならなかったので、自分でPC操作もしたし、マイクのオンオフを譜面台の利用で擬似的に再現したり、ハンドメイド感がものすごい演奏ではあるが、これもまたこれで思い出。

曲は前半8分までには、様々な音響とテナーサクソフォンのシンプルなアンサンブル。
中間部にリズミックかつアップテンポな部分を挟み、後半には音響とテナーサクソフォンの「ミクション(混合)」が、
電子音響ではテナーサクソフォンの音をエコーやディレイで「機械化」させていき、
テナーサクソフォンは息のノイズや様々な特殊奏法で人間を捨てていく。

この曲は2002年に作曲された訳であるが、これが最先端だったかそうではないかは、今の自分の知識で答えを出すことは出来ないが、自分がこの曲に関して一番面白いと思うところがある。
それは、例えばいま電子音響を利用した音楽的で、魅力的な響きのする音楽はたくさん存在するが、そのような曲の大抵はテープとアコースティックの「タイミングの」アンサンブルなのだと思う。例えばJacobTVとか、レサボニックとかもかな?
この方法自体、めちゃくちゃ良くて、我々に必要な特別な準備は、大きな音が出るアンプを用意するだけで曲が出来てしまうのだから、演奏のハードル自体はそれほど高くない。これは本当に素晴らしいことだと思う。
新しい方法や新しい音楽には、いつも絶大な手間がかかったり、せずに済む苦労なんかも見えてしまう側面は絶対にあってしまうと思う。特に残念ながら日本はそういうことはかなり多いかも。
でも、CDとの共演っていうのだったら、なんとか出来そうと、自然に思えるくらいのハードルであるというのが本当に素晴らしい。
話がだいぶん逸れたが、その点ミクションというのはもう手間も本当にかかる。笑
PCの用意、オーディオインターフェース、マイク、フットペダル、さらにはMAX。場合によってはMAXパッチまで演奏者?共演者?が作るなんてケースもあるとかないとか。(そんな曲今の所出会ったことないですけどね!)
本来作曲の人がやってくれればいい部分も自分でやったので、これはもう本当に大変なのはわかる。
けれどその手間がかかる分だけの面白さというのはやっぱりあって、このミクションという曲の場合は、
曲の冒頭が「タイミングの」アンサンブルだとしたら、曲の後半に進むにつれて人と機械の「響きの」アンサンブルへと変わっていく。その変化の様や雰囲気の違いというのが本当に面白くて、それがこの曲を演奏するモチベーションだったり、人にこの曲の楽しさを積極的に伝えたいと思えるその原動だったりするのかもしれない。

最後に、これはライブ録音なので、楽器と音響のバランスが、割と楽器の方が優先されがち。
そして、後半部分の音響とのミクションは、動画では感じられにくいかもしれない。(音量を大きめにして聴いて頂くと、その響きがホールの響きなのか、機械の響きなのか、その違いが分かった時面白さを感じられると思います)



そのうちまた演奏したい曲ランクの上位曲だ。

とりあえず、テナー手に入ったので、一層色々な場所で演奏していきたいと思っている。
頑張ろう!!

研究とは

若干のあおりを含んでいる可能性があるので、不快にさせてしまったらすみません。。

我が学校の我が科には、毎年前期に研究演奏というものがあり、4年生は参加自由なのだけれども、これがまあいうならば「試験」のような扱いを受ける学内の本番がある。
他学科と大きく違うのは、演奏の時間が厳格でない(そして長い)こと、が挙げられる。
年に2度も30分間、豪勢なお客さん付きでソロものを演奏できるというのは貴重だから、それのために学校に通っていると言っても過言ではないイベントだ。それくらい重要なものとして考えている。
そして自分のこの所属している学科は演奏家を育成するための学科で、逆算して自分が「演奏家になるために」必要なレパートリーというのはかなり熟考して決めてるつもりなんだけど、まあやっぱり表面から見ると、いやそうでもないでしょ目立ちたいだけなのかなちょっと痛いなみたいな目線で見られることも少なくない。

ちなみに今回は、「室内協奏曲の可能性」。
30分間、イベールとシャムズを原曲編成の11の楽器と共に演奏する、というものを企画している。
イベールの協奏曲を原曲編成で演奏した人々の感想を聴くと、その名の通り、室内楽の最も理想的な響きの中で演奏できたとか、理想的なバランスだったとか、興味深い感想が自分の中で累積され、そこで自分もそれを体験してみたいと思った次第。そして、その源流にはイベールがいて、それへのオマージュ作品がいくつかあるわけだが、最も新しく知名度のあるジャン・デニ・ミシャのシャムズをカップリング。
フルオーケストラを集めることは不可能だが、11人ならなんとかなるかもしれないと思い動き出してみている次第。

まあ別に自分の夢とか目標とか笑われる(表面でなくても、心の底がちょっと見えちゃったりとかね)ことなんて慣れているし、そんなの結果でこれから示せばいくらでもこれからどうにかなるわけで、そういうのは全然良いんだけれども、それよりも、自分はこの演奏の機会を、研究演奏というのだから自分の「研究」をしたいところにフォーカスを当てて、その発表がかなり自由に出来るものとして捉えていた、ということが問題だ。
いざ自分なりに力をつけて、いざやりたいことをやってみると案外そうでもないらしい。というか、まあ自分の研究をいくらしたくても、あんまりこう、「特別」に見えてしまうことって、あんまり出来ないしそれをしても味方になってくれる人というのは少ないものなんだなとちょっと最近思い始めている。
まあ、確かに「ピアノ以外の伴奏」「現時点でその辺の学生が協奏曲」「ライブエレクトロニクスの奴がまたなんか言ってる」とか、そういう感じの感触かもしれない。笑

学内では面白いことに、自分の興味の範疇は割と現代音楽に偏りがち、みたいな言われをすることがあるのだが、そんなのサックスをこの4年間の間にレパートリーを網羅しようとしたら、名曲と言われたロマン派閥や近代の曲なんて、自分の持てる技術を尽くして一旦さらい終わるのにそれほど時間はかからない。もちろん、時間をかければその音楽の深みを極めることも出来るが、それをすべての曲で、なんてことは出来ない。
そもそも試験に向けてのみ練習をする、というそのスタンス、一番若くて色々なことができる貴重な4年間に勿体無さすぎるし、単純に楽器を吹く技術を極める時にそんな縛りはもうただただ効率が悪いわけで。
だからそれと並行して曲数なんていくらでもさらえるわけですよ4年間もあれば忙しい時期もあれば暇な時期もある、というか学生の方が暇に決まってんだから時間見つけたらもう飽きるほどさらえるわけだし。でそうすれば大体の名曲と言われる曲はある程度目を通すことができて、自ずとサックス吹きは現代モノか、他楽器の曲に目がだんだん移ってくるはずな訳で。

ちょっと話は飛んで、前回の試験では(確かに「試験」でこれは賛否両論出ても仕方ないのかと思うけど)ライブエレクトロニクス作品であるジョドロウスキのミクションを演奏して、これはもう色々あって演奏会版大炎上のような形相になった。笑
(「試験」と言ったのは、ヴィル科は面白くて、前期は「研究演奏」と呼び、後期は「実技試験」と呼ぶ。)
いやそれは色々問題のある瞬間もあったり、伝統とか形式とか、そういうのがある学校の試験の定型から外れたことする自分もどうか、ってそれで片付けたらそうなんだけど、逆に現代モノに対応しきれない研究教育機関って言われてしまったらそれこそ、長期的に見て大学側がすごいダメージだと思うんだけれども?
ちなみにこれに関して学務との連携は完璧だったのだけれども、当日の進行だけがトラブって大失敗だった。
まあ、要するに自分もつつかれる脇腹が残っていたわけだ。だからこんな記事そもそも大口開けて書けないんだけどね。
そもそも、これはブログで人に考えを発信するから自分には都合よく勘弁して欲しいんだけれども、音楽大学で、クラシック音楽を学ぶとなった時に、演奏の形態もパフォーマンスの形態も多様化しているにも関わらず、「(定型的な意味での)クラシカルな」こと以外の対応が難しいって、もうその時点で考え方に偏りが生まれていないか?極端な話、それこそ偏見だけど現代モノとか特殊な編成を避けさせたいんだったらちゃんとした学内演奏の際のガイドライン作るなり、現代音楽専攻みたいな学科を作ればいい。はっきり言って「変と言われがちな音楽」専攻でもいいよ。それくらい煙たがってることないか?

なんなら試験の時もそれ以外の時も言われたんだけど「好きなことやりたいなら一人で演奏会企画してやればいい」くらいに言われたんだが、自分で言うのも本当におこがましいけどその「好きなこと」に一体将来の音楽に対してどれだけの可能性や価値を生み出す可能性を聴衆と共に共有できるのか、そこをもっと考えたい。学校という、自分の思考や研究を同年代の刺激的な仲間たちと共有できる場で、その思考を定型の名の下だけに潰して大丈夫?って聞いてる。おこがましいけどね。

だいたい、もう好きなことなら学校の外でやってるよ、カルテットとか特殊な演奏形態で、一晩の演奏会をプロデュースしてそれで自分で演奏する、そしてそのコンサートで生々しい話収益を得ようとするなんて、あと10年くらいしても50年しても、なんなら500年経っても音大では教えてくれないだろう。そういうのは自分で学ぶしかない。
社長になりたくて、経営学部に通っても起業の方法とか教えてもらえないのと同じだ。
大体、そういうのは定型がないんだから、いくら大学でも教えられないし、なんなら教えてはいけないことなのかもしれない。それこそ偏見が生まれるきっかけにもなりかねないのかもしれない。
だから、そういうのならもう自分で勝手にやってるよ。エフのエニグマもやったし、また次の天道もあるし、大編成公演もまた新しいのの企画が完成してそれの準備もしてるよ、まだ秘密だけど。

だから、もう残されてんのは、学校の中で出来る、学校の中だからこそ出来る、「失敗しても大丈夫なすごく失敗しそうなこと」にチャレンジすること。
それが前回のミクション。
ライブエレクトロニクスという演奏形態の研究、これだって授業で教えてもらえるはずがない。
普通なら作曲家のサポートが必要なこの演奏形態を完全に独奏するなんていう危険な綱渡りをして演奏する人間なんて、後にも先にも自分くらいだろう。まあ、評価は最悪だったかもしれないが挑戦したモノがちってことで大勝利だ。
で、そういうのが今回は室内協奏曲。こんなん、それこそ学生が外での演奏会企画して成功するわけがない。
ぶっちゃけ、需要ないだろう。ライブエレクトロニクスならまだ、興味があるとしても。コンチェルト2曲なんてもう誰が聴きたいのよと。
いや普通に、どんなオケの演奏予定の案内とか見てもそんなプログラム無い。
プロオケが世界的なサクソフォニストをゲストに呼んでも、2曲はやらないでしょう。普通。
それは演奏家の資質とかそういうんじゃなくて、もうお客さんがそんなの2曲も聴きたいなんて思うわけがない。

だから!!!!だから!!!!そういうコンテンツだから大学でこそ出来るんじゃないの?って!!!
一般の需要と大学の中の需要は、もう面白いくらい別物なのはなんとなく想像がつくと思う。
試験にふさわしい曲とか、そんなの商店街で演奏してみよう。空きペットボトルとか包丁がステージに飛んでくるだろう。
いや飛んでこないにしてももう空気とか目線とかもう寒い痛い辛い。なんなら不衛生くらいに思われるだろう。
けど、大学って場所はそんな「不衛生」なプログラムすら実際に実践できる可能性が残されているともう自分は信じて疑わないわけ。
さっきも書いたが、試験にガイドラインは、ない。
試験にふさわしいとか、ふさわしくないとか、その次元の話が、正解のない芸術でどんな価値を生み出す線引きになるのだろうか?
いやまあね伴奏楽器や共演者に関して、ピアノのみというのはもう学校の中で「当たり前」のものなのかもしれない。
しかも、まあぶっちゃけイベールとシャムズ、ピアノリダクション版だってあるよ。
こだわらなかったら、その「曲」自体は演奏できちゃうよ。
けどピアノリダクションってあくまで編曲な訳で。もちろんねわかってるのだよじゃあリダクションで十分事足りるでしょって、11人の奏者集めて演奏するほどの器量あんのってまた横腹をつつかれるわけですよ。
まあ確かに自分だってそう思うけど、そう思うけど本当にそれでいいのかと。
ただでさえもう音楽大学の試験は効率も悪いし、なんなら採点基準だって曖昧極まりない。
演奏をミスした回数だけで判断することなんて、出来るわけがない。
本質的にエモーションだけでしか判断することが出来ないものに、なるべく形を作ろう作ろうとした結果に、固めなくていいところまで固まってきていないか?とお節介ながら。
いやいやいやだって、まあ確かに書類云々とか学校はあるのかもしれないけど、吉尾の演奏する前に椅子と譜面台を11個ずつ置くだけ。あとは普通の試験と何も変わらない。

仮に試験として見たいなら独奏やるのは自分だし、その伴奏の形がちょっと違うだけで。
しかも研究演奏は人ごとに長い時間の「間」が出来る。この間に柔軟な対応なんていくらでも出来るはずだ。
まあそれでも、こういうのがめちゃくちゃ機関側に「迷惑」になるのは、もう前回で十分に学んだ。
特別対応とか、そういうのはもう本当にどれだけ大変なのか、超超超よくわかる。
コンビニのレジですら、お客さんの「やっぱこれいらないです」にどれだけ迷惑するかわかる。
これが演奏になったらもうどんだけ迷惑かかるのか、もう痛いほどわかるよマジで。
だからねこんなことやってたら友達も減る。笑

ちなみに、ハッキリ誓って言っておくけれどもこういう吉尾のうるさい提案に対して、学務の職員の方々は、「周りの試験に関わる人々の賛同を得られたなら検討する」姿勢を示していてくださっている。
自分がこの記事を書いて問題提起したい相手というのは、具体的に誰とか、学校がどうとかそういうのじゃなくて、長い年月を培って出来てきた「当たり前」「当然」とか、そういう感覚に依存して、芸術の可能性とか、本当の面白さとかを知るきっかけを失ってしまうんじゃないか?その、当たり前に毒された価値観にこの問題をぶつけたい。
そう、もうね、わかってるんよ、相手取る相手は人でも試験という場でもなくて、長い時間をかけて根付いた常識というものだから。いくら価値があることと確信していても、動かすのが本当に難しいことだってもう、誰よりも誰よりも自分がわかってるから。この迷惑な提案にも「検討」の姿勢や「味方」の姿勢を取ってくれる、権利を持っている仏のような人だっているのだ。だからだから、成功の可能性になり得る味方が一人でもいるなら、吉尾がやろうとすることに面白さを見出してくれる人が一人でもいるのなら、もうね吉尾の悪いところだけどこの可能性に挑戦せずに終わることなんてもう死なない限り出来ないわけ。
いや、だから友達も少なくなるし敵もきっと増えるのも仕方ないとは思うんだけれど、でもその友達にならない人とか敵とかも含めて、大学という場所がこういうことを実現した暁にはその敵にすら、何か新しいアイデアが生まれてしまう可能性が出てくることになりかねないことができる場所であってほしいと心の底から願っている。
さらに言えば、管楽器の先生の頑張りで、もしかしたらこの半年以内に学校の中で自主企画コンサートを催せるシステムが出来るかもしれない、らしい。そういうのが出来たら、潔くこんなプログラムやめて「試験向け」の曲をど真面目に吹くよ。ってか最初からライブエレクトロニクスだって試験でやらなかったよ絶対。笑
こんな、って言い切れるくらいひでえプログラムなんだよ、けどそれに挑戦できる大学って最高でしょ。
またそれに向けてぶつかる困難っていうのが人生の中で一番幸せな時間なんだよ。と、自分で思うわけ。

今回もとりあえず様々な人々に鼻で笑われること覚悟の上で、明日からも当たれる人から順に当たってこの企画をぶつけてみようと思っている。
そしてこの記事を書いたり、これに向けて誰かに提案したり、この記事を見られたりするたびに、無理だとか頭がおかしいとか言われるんだろうなあ、そしてこれからも言われ続けて鼻で笑われ見下され、なんなら運よく演奏する場所まで運びつけても失敗して、マジで目も当てられないような状況とか生まれたりすることもあるんだろうな。
そうなったらもう多分めっちゃ傷付くしまたやる気もグンと落ちて無気力になるのかなと思う。また。笑

けど、なんかやっぱりそういうの、やっちゃいたいよね。笑
まあ、でもやっぱりこの企画を成功するために、自分の視野が狭いものになったり、思わぬところにめちゃくちゃ不快な思いをさせたりとか、あると思う、多分これからもそういうことに自分で気づくたびに、自分の至らなさや、自分の人間としての未熟さとか、身勝手さに自己嫌悪を抱き続けるのだろうな。

でも、やるしかない。

その不可能かもしれない挑戦に挑み続けること、それを願い続けることだけが、自分にとっての希望なのだから。
成功すればいいなあと淡い期待と希望を抱きつつ、この記事の締めとしよう。

まあ、試験で出来なかったら本当に自分でやろうかな、ギャラめっちゃたくさん用意して、ついでに他のサックス吹きの仲間呼んで、オケの皆々様に協力してもらってイベールおさらい会オケ版とかやってみればいい。
したらすごい感触が得られるかもしれないし、得られないかもしれないね。そういう時用に募集しとこうかな。サックス吹きを。参加費は高いぞ。笑