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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

卒試プログラムノート

受講している授業の関係で、プログラムノートを卒試に向けて提出する。期限は来週。
歴史的なソースがそれほどない曲たちなので、比較的楽譜から読み取る分析と、曲に対する私感が多くなる気がするが、ある程度は仕方ないだろう。なるべく客観的に書くよう努力はするつもりだが。あっ、ダールのはちゃんと書きます。

AcapBのCM

AcapBではCMを作っている。

もう少し手の入った動画を作るべきとは思っているのだが現在の自分の技術ではこれが限界だ。



今日は第3弾の撮影を。
実は第2弾の収録、編集は終わっている。

CMにはアフターエフェクトというAdobeのアプリケーションを使っている。
フライヤーやプログラムを作る際もAdobeのものを使うのだが、つくづくユーザーの直感通りに色々なものをうこかせる、便利なアプリケーションだなと感じる。
アフターエフェクトを知ったのは今月の頭などなのに、(おこがましいが)そこそこそれらしいムービーは作れてしまう。

江村哲二 INTEXTERIUR IX



AcapBに向けてももちろんさらっているが、卒試に向けてももちろんさらっている。と言っても諸々の準備がやっと済んできて、やっとさらい始めている感じだが…。とにかく良い音楽をすることを最優先に色々と組んで行きたい。

卒試のプログラムの中に1曲、故江村哲二氏のインテクステリアIXを取り上げる。と決心したのはつい最近なのだが、もう何せ難しい。そして原譜が左側。見え無さすぎて拡大コピーした。それはそれで気が滅入る楽譜なのだが、この曲に関しては心が折れてでも吹き切りたいと思うモチベーションを感じさせるものがある。

実はこの曲との出会いは、中学とか高校の頃だと思う。
根っからのサックス少年だった自分は、周りの迷惑も顧みずヤマハの楽譜売り場の目の前でサックスの楽譜を端から端まで漁り小遣いがあれば買っていた。(お父さんお母さんこの時の楽譜がマジでほんとに役に立っています本当にありがとうございます。お小遣い最高)

が。
譜面ヅラを見て買うのを初めて諦めた曲がこの曲。インテクステリアだった。

本能みたいなのが、この緻密な手描きの楽譜を見て、
「これは、まじで、吹けないかも」

と思ったんだった。でもこれは自分にとってめちゃくちゃ強烈な体験で、初めてのヌマクローの対戦にワカシャモで勝てなかった時のトラウマのように(?)、曲名だけがずっと自分の脳裏に刻まれていた。

それから数年の月日がたち、今、(もちろんすごい芸術的に崇高ながら)こんな曲を演奏しているというのはなかなか感慨深いものがある。
仕上がるか全く分からんが…。

今回はヤバい。んじゃない。いつもヤバい。そういう生活なのだよ多分。。

思うことをつらつらと書いてみる。

ヤバい。卒試の曲ヤバい。まじでこれは間に合わないかもしれない。
何がやばいってテナーの曲や。何がやばいんだ?
分解して考えよう。

音列。指が慣れていない動きが多すぎる点。
具体的に、微分音の指使い、重音の指使いがテンポの中に混じった時にそれにすぐ対応出来ていない。

テンポ。ハッキリとテンポが明示された中で音楽的な表現をするのは、むしろ普通のことであるが、それが指に混じると急に難しくなる。

コントロール。
重音の倍音コントロールやグリッサンド、息(の音)を音楽の中で演奏する事がムズい。

演奏イメージ。
かなり音楽的な演奏を想像しやすい譜面であるが、正確に演奏することを先取りしようとするあまり、脳みそに新しいことをさせようとする神経がものすごく鈍っている気がする。
失敗するつもりで思いっきり早く、大きな表現を目指す。気持ち大事。

脳みそ。
頭の中にとにかく音が入ってくるようにしよう、自分で演奏する曲なのに自分で説明出来ないのは演奏者としては矛盾している。

しかし考えてみれば毎回ヤバいって言ってるんだ。今回もヤバい。
大学最後の最後の試験まで、余裕を持って仕上げるという概念は無かった。

実はこの原因は色々あったりする。と自分では分析している。
して、その分析では、かなり根深い原因があるという結論になっている。

ただまあその中でも自分が自分に1番言うべき言葉としては。
最後まで諦めるな!だ。単純。

AcapBをやるにあたって雑感1 ー Phitolith I

来月8日には、同期とともに『AcapB -2つの文化の交錯点-』を開催する。
吉尾としては浪人時の「Adonis」以来のソロ主体の企画公演となる。

AcapBという単語を聞いて、数学だとか、集合だなどの単語を思い浮かべる方がいらっしゃると思う。
そこに今回は着眼し、それをそのままコンサートのタイトルとして冠した。

実は、最初にコンサートを開催しようと思ったのはもう少し単純な動機だった。以下の内容に関しては、もう、うんざりしていただいて結構。

それは、「俺たちの卒試」をやろうというものだ。
ハッキリ言ってしまうと、このコンサートは「卒試でライブエレクトロニクスができない!」(端的にいうと禁止令が出された)という吉尾の嘆きから始まっている。
そこで一緒に演奏会を作ってくれそうな仲間に声をかけ、あのメンバーが集まった。

大学の卒業試験というものに、どのような意味合いを見出すか、ということは人によって様々だと思う。
4年間学んできた・研究した何かの集大成であるとか、はたまたただの通過点として捉えている人など…その中で自分は一体、大学を出る直前に、聴衆に向けて何を提示することができるのか、自分にとっての集大成とは何か、そんなことをぼんやりと考えるようになった。

話が少し飛ぶが、このブログは思いの外自分でよく見直す。
そうして、自分の中でぼんやりと思いつつもこの思考の路線は変わっていないな、と思うことはいくつかある。

日常生活と芸術音楽は、やはり我々の思っている以上に距離があるものだと認識するべきだということ。
誰かの幸せを願うから、今日も明日も練習をし続けるのだということ。
自分の一番やりたいことをしている時間、自分の気持ちに正直でいる時間が幸せであること。
(今は目的が変わっているが)幅広いレパートリーと幅広い(自分が興味を持った文化的な)教養を身につけること。

ここで、今回吉尾が演奏する予定の坂田直樹:Phytolith I について、そしてこの曲を演奏するにあたって思うことを少し書きたい。
作曲家の坂田さんは、現在フランス在住の作曲家で、歳は自分と14か15しか離れていない。
作曲家の登竜門とされる「尾高賞」「武満徹作曲賞」「芥川作曲賞」にオーケストラ曲「組み合わされた風景」(Paysages entrelacés pour orchestre)で史上初の3冠を達成した。(テナーの音がオケの中に聞こえている気がする!!トロンボーンかな。。。)さらに本当に嬉しいことにサクソフォンのために書かれた作品は数多く、Phytolith I に加えアルトサクソフォーンとエレクトロニクスのための「Missing Link」、サクソフォンを含む室内楽のための六重奏曲や、最近でいうと本堂誠さんが初演した「Liquid Life」など本当に多い。しかも面白い…。

朝日新聞のインタビューに、坂田さんは現代音楽というものについてこのように語っている(以下引用)
「消費社会では、今ある価値観の中で高得点をたたき出すものがあふれていると思う。でも、いろんなことが犠牲にされている。芸術には、回っている歯車に対して疑問を呈する機能がある」

回っている歯車に対して疑問を呈する…という言葉に、(本当に)おこがましいが(本当に)深く共感した。
なぜ自分がレパートリーを拡大すると決めたときに、トランスクリプションも、古典的なオリジナル作品も、いわゆる現代音楽も分け隔てなく演奏して行く必要があるのかを考えたときに、特に現代音楽は演奏者も、聴衆も、現代音楽によって「立ち止まる時間」を与えてくれるように思うのだ。
なぜこのような音楽が生まれたのか、なぜこのような音を選ぶのか、なぜ演奏するのか、なぜ演奏者はこの曲を聴かせるのか、語弊を恐れずに言えばそのような疑問は現代音楽だからこそ生まれると思う。
きっと自分も、レパートリーを分け隔てなく演奏しようと決めていなければ触れなかった音楽の類かもしれないし、なんなら食わず嫌いをしてどこかの誰かのように「禁止」だとか、「メロディもフレーズもない」とか言ってフタをしていただろう。
音楽は無くても生きていける。しかし形はどうあれ音楽は常に人々に寄り添う。
何故音楽がプロパガンダに利用されるのか、何故ナチスはユダヤ人の音楽を禁止したのか。
何故ただの音の羅列が政治的意味を持つ?音楽が無くても生きていけるにも関わらず、だ。
音楽を聴かないのは思考停止と同じだ、などと言ったら過激だろうか。別にこの音楽という言葉にはなんの深い意味も無い。なんでもいい。
普通は逆だというだろうか。歌詞のあるポップス音楽は思考を停止させ、クラシック音楽は安らぎを与え脳を活発にするのは本当か?
否、どちらも正しいだろう。正しくあるべきなのだ。
ピアニストのダニエル・バレンボイムは音楽の聴き方という動画でこのようなことを言っている。
音楽を忘れるための道具として使うべきか、それとも成長や楽しみ、興味や心を奪われるものと考えるか…
音楽は様々なものが同時進行している、と。

話が大きくなりすぎてしまった。言いたいことを要約しよう。
レパートリーを分け隔てなく勉強する中で、現代音楽というものをある意味で分け隔てなく、そしてある意味で特別に取り扱うことで、自分は新しいクラシック音楽を聴衆と共有することに深い興味を抱くことになった。
これは高校にいるときなどにはあんまり思わなかったこと…つまり大学在学中に大きく思考が変わったところで、自分の大学生活と現代音楽の出会いというのは大きな意味を持っていると思っている。あまりにもおこがましい発言だが。許してください…何もしませんが。

以上、吉尾がPhytolith Iを演奏するにあたり思うことを思いの外たくさん書いた。少しじゃなかった。
とかく坂田さんのこのPhytolith Iめっちゃ面白い曲です。カッコいいし、吹いていて楽しい。難しいけど。
なんかもっと自分が主にならない記事にしようと思っていたんだが全然違う話になってしまった。
次はもうちょっとちゃんと書きます。。。