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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

楽興の時、それは春の到来を願う「何か」である

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吉尾悠希&乗田晏妙デュオライブ「春よ来い」が終演した。
お越し下さった皆様には深く御礼申し上げたい。

今回のセットリストは以下の通り。
Debussy : Rhapsodie
Yoshimatsu : Merting dream from Piano Quartet
Shumitt : Legende
Tomasi : Ballade
Liszt : Cantique d'amour
Disney Princess Medley
Howl's Moving Catsle Medley
Brahms : Clarinet Sonate op.120-2
Encore : Haru yo Koi

なかなかに重いプログラムだったが、それはやはり我々にとって西洋音楽というものが遠い場所にあるという裏付けになるのではないかと感じた。
何よりも私自身が西洋音楽という文化に対して、自然(というのも分からないけれど)な価値観に寄り添えるよう努力しなければならない。

そして、一番に考えたいことは、このライブを企てた私にとっての春は一体何か、ということだ。
自分のブログなので、これくらい自分のことを書いてもいいだろう。

私はこのライブについて、このように説明する。「春を一元的な考えで捉えれば、季節の1つでしかないが、多元的に捉えることで様々な希望や切望、羨望など…様々な望みが垣間見える」
どうしてこのようなコンセプトが生まれたのか…確か、歌を中心とするプログラムを組みたいと思い、それが転じ歌とは人の願いである、という発想に至った。
人が願いを持つということは、今自分のいる場所から別の場所へ進もうとする気持ちの現れであるとし、冬の季節の中で春の到来を願う、といった物語を思い立つに至った。

このようなコンセプトを持つということは、やはり私自身も何か「変化」を願う節があるのではないかと考える。
しかし同時にこの変化とは、冬から春へとやがて季節が変わるように、時間とともに少しずつ流れていく何かなのかもしれない。


その言葉に出来ない何かが演奏者の表現の根源となり、人々と楽興の時を共有するのかもしれない。


まだまだ勉強したいことはたくさんあるが、ひとまず無事に全曲演奏しきった自分を自分で褒め、そして明日からの原動力としていきたい。
カーサクラシカの皆様と、ご来場の皆様、そして来場は叶わなかったものの応援してくれた皆に深く感謝したい。

あと、父よ誕生日おめでとうございます。以前私はこんな記事を書いた。別にこれを意識していたわけでは無いが、でも音楽家になるというのはこういうことなのかなと思っている。(全然至ってなかったと思うが)
父に限らず母にも祖父母にも多分ものすごい心配をかけながらこの道を進んでいるが、いつかもっと自慢できるようなプレイヤーになれるようまた頑張りたいと思っている。まあちょっとまだ至らぬところが多いが。

瀬木財団研修発表会

芸大にて本番だった。まさか芸大で演奏する機会がいただけるとは。。。

6ホールは木造(?)でとても素敵な響きがするホールだった。

音楽の聴き方

ここ数日様々な人や団体の演奏を聴いているが、音楽の聴き方というものに対して色々と考え方が変わっている気がすると思い記事にしてみることにした。

あまり深く書きたいとも思っていないのだが、少なくともよほどでない限り、いわゆるミスというものは我々にとってそれほど重要な要素で無い気がした。それは、音楽の勉強が深くなっていけばなっていくほど、いわゆるミスの意味は無くなってくる。

いわゆるミスとは何か。実はここに関してが一番認識の変化が大きくなっていると考えている。
いわゆるミスでは、主に音を外す、指を間違えるなどに代表される、楽譜の記述に対し異なる音を演奏した場合が指される。
確かにこのもっとも代表的で、また一番多く起こりやすく、また一番聴衆に気づかれやすい部分ではある。

しかし、ミスというものは基本的にもっと広くとらえられるべきであって、単に指のことだけを気にしているだけでは最終的に指のことしか気遣わない音楽になってしまうし、そのような音楽に内容は全く伴わないと考えるようになった。
私の練習の際の録音を自身で聴いたときに、 音は合っているのに違和感を覚えることが多かった。ここ数年どころの話ではない、高校生くらいの時からずっとそうであった。
それは何かを考えてみると、実際のミスというものは音色やヴィブラート、音楽的表現やバランス、音程、間や空気など、本当に様々な要素が複雑に絡み合い、自然、または不自然な音楽が成り立つのではないかという仮説に達した。

私は、音楽というものに対して「言葉にする必要のない要素」といって敢えて余白を残しながら音楽を作っていた節があるのだが、やはり深く考えなおせば感性というものはもう少し言葉にすることも出来るのではないかと最近は思っている。

まあでも、言葉にしまくるのも正直うざい部分もある。追求しない方がいい部分、とことん追求するべき部分、そのバランス感覚もやはり大切だ。

と、いうことで、音楽の聴き方におけるミスなんてものは数えだしたらキリがない。
すると、そのミスをも含めて演奏者の価値観などが垣間見えるようになる。
それは、ミスじゃない。ミスを許す自分の価値観なのだ。

自分で書いて身震いしそうになった。こわ!気を引き締めなおそうと思う。

ブログの条件

今日は学校で各種資料の整理。
その後指導先へ赴きパートとソロコンへ向けレッスン。
帰り道にお弁当箱を購入。目指せ自炊男子。

最初からまともな料理は絶対に出来ないので、とりあえずはごはんオール詰めプラススクランブルエッグor卵焼き+冷食の簡単メニューにしようと思っている。
外食して1食500円。これが弁当によってどれくらい抑えられるのか楽しみである。というか抑えられてくれ。😅

そして編曲とアナリーゼの日々。
楽譜をただただ読み込む。その知識が全然足りていないのだ。
気持ちだけでは音楽は出来ない。

Michel Legrand

フランスの作曲家・ジャスピアニストである、ミシェル・ルグランが1月26日にこの世を去ったそうだ。
本当に恥ずかしいことにこの話題が出るまで彼の名前すら知らなかったのだが、彼のピアノ協奏曲を聴いて、これほど素晴らしい曲を知らなかったのか!と衝撃を受け今記事にしている次第である。

しかしとても素敵な曲ばかり。
クラシック作品ですぐにパッと出てくるのはピアノ協奏曲とチェロ協奏曲のみだが…明日はチェロ協奏曲も聴いてみるつもり。