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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

レッスンとレッスン

今日も中学校へ伺いレッスン。コンクール曲の初音出し。ほぼ初見状態だが、音楽のことをなるべく考えてもらえるようにレッスンしていきたいと思っている。

昼間はデスクワークやら楽譜仕入れやら。ソロで吹ける曲などをたくさん準備しておこうと思いたってのものだった。

夜は浦和へ出向き男子高校生をレッスン。再来月の本番に向けて真面目にがんばっているようだ。
私も微力ながら手伝いができればと思う。

やはり人に感覚を言葉で教えることはとても難しいと感じた。
「誰が」満足するレッスンなのか、というのはとてもよく考える必要があって、レッスンを受ける側の人になれば、おそらく先生から学びたいことは即効性の効果がある奏法や哲学なのかもしれないが、やはりそれだけでは難しい。
何よりも、即効性のある奏法や哲学は、長い目で見ればその人の考え方を凝り固めてしまう危険性もある。
おこがましいかもしれないが、せっかく音楽を学ぶのならば、多少大変でもやはり自身で考え、自分で悟り、自分の言葉を少しずつ獲得していって欲しいとも思う。それが演奏する身としては最終的には一番幸せだと思うからだ。
しかし、それは生徒の求める先生の像とはまた違うものだという実感もある。
…とまあ、人を教える機会を頂く度にきっとこんなことを悩み続けるのだろう。
どちらにしても、その時最善だと思うものを突き詰めるような活動ができるようにしたいものだ。
コンクールにしても、コンサートにしても、うまくいきますようにと私は願っている。本当に。

さらった曲リスト

音楽を学ぶ皆さんはそのような記録はお持ちだろうか。
私は大学一年生の時にレパートリー超拡大(自称)を掲げてから、常にさらってきた曲、演奏してきた曲を表にしていった。

作曲家、国籍、作曲年代、様式、演奏時間など、細かくジャンル分けして、自分自身の取り組みの偏りなどが無いようにやってきた(つもりだ)。

意外にオススメだ。なぜおすすめかと言うと、大学生活中に誰かや世の中に音楽で認められる可能性は基本的には低い(と言わざるを得ない社会だ)。
そんな時でも自分自身だけはいつも自分を信じ支えていかなければならない。賞にもお金にもならないが、自分自身がこれだけの数足踏みをしてきたという証明にはなる。だからオススメなのだ。

私は大学生活中にソロ曲を100曲人前で吹くというざっくりとした目標を立てた。残念ながら難しい曲も多くなかなかそういう訳には行かなかった。あと1年あればいけるかな、くらいの数だった、頑張ったけど。
その他のジャンルの曲を含めれば達成したことに出来るのだが、あくまで大学在学中に中心に学んだクラシック音楽、の範疇で考えたいという謎プライドがある。(結果目標が達成できない)

やっぱり自分でおさらい会やったのでかかったなあ~なかなか水準は自分の理想に達するような演奏には出来なかったけれど、その曲を人前で演奏するという経験の大きさは楽器を勉強すればするほど強く感じる。自分しか聴いていない状態と、人に見られ聴かれている状況では演奏に対するメンタルや、演奏中の環境(息継ぎや空気、感覚など)が全く違う。

終わりがあることは救いである

…また宗教のようなブログタイトルになってしまった。

今日はヴィル科の追いコンだった。
後輩達、忙しい中我々のために時間と費用をかけてくれてありがとうございました。嬉しかったし楽しかったよ!
またいつか、どこかで一緒に仕事出来ることを楽しみにしています。

そんな大学四年生の、少し傲慢なつぶやきが今日の記事だ。

閑話休題、私の今年の目標は「プロセスを楽しむ」だ。
芸術というゴールのない学問で、自分を見失った時に、目に見える何かにすがりつくのではなく、自分自身が挑戦をしているこの瞬間を楽しみ続けることが大切なのではないか、と去年の活動で思ったからだ。

私にとって学生生活というものは、4年生にもなればどちらかと言えば。守られたところもあるがしがらみとしての存在も大きかった。
誰にも迷惑をかけない環境で、自分自身の言葉をもっと大きな声で言えるようになれればいいのにと本気で思っていたからだ。
学校というシステムのおかげで守られていた。
しかし、学校のシステムの中だけでは(おこがましいながら)自分が信じたい才能を伸ばしきることが出来ないのではないかとも感じたのは事実だった。
武蔵野音楽大学という学校の中で出会った同期は素晴らしい奏者たちだ。
そうじゃない奴も相当数いる、4年間で何やってたのか自分には理解できないような人間ももちろんたくさんいる、からたまに武蔵野卒業というのがとても嫌に思う時期も多くあった、がそんなの傲慢だと思った。
なぜなら私は仏子キャンパスの紅葉が綺麗だったからここに入った。この環境ならば練習を思い切り出来ると思い入学した。今は違うけど(キャンパスも違うしね)。

この大学から卒業出来ることは私にとっての大きな救いの1つだ。
自分自身の芸術を研鑽するための大学だったはずが、残念ながら出る杭を打つような姿勢を見せるような側面もあった。そんな学校を誇りには到底思えない。その気持ちは残念ながら今も拭えないでいる。

でもそれは、長年の中で培ってきた大学という体質の問題であり、今働いている職員や、勉強中の学生が悪い訳では無いことも分かっている。致し方の無いことだとおもっている。

だからこそ、この看板をこれから背負っていくにあたり、自戒として、人間は看板で到底判断できるものでは無いことを、何かを思う時は人の意見を鵜呑みしないで、自らの判断のみを信じ続けることを忘れないでいたいと思う。

もしも今、あなたがどこかに所属していて、その団体に所属することを誇りに思えないならば、その感覚は絶対に大切にするべきだ。
しかし同時に、本当にそう思うのならば、自分自身がその団体に所属することを誇れるように努力をするべきだ。
私は出来なかった。だから、せめてもの贖罪として、私は今後の活動の中で自らが背負う責任や看板をできる限り大切にしたい。

今、学校の中で必死に努力している後輩達のためにも。
おこがましいけどね。

以上。
飲みすぎた。明日元気で起きられますように。。

音程に関する文言

自分の演奏で最近、音程というものが全然完全な所に行かないのがとても不満である。(だからなんぞや)

音を狙う、という感覚が広域化してきたというか、やはり同じドでも音色音程音質温度重なりなど色々考えると一つ一つのバロメーターを繊細に調整していかなければならなくなる。
それを完璧にするのはものすごい時間もかかるし、根気もいるのだが、ここを超えないと自分で楽器を吹いていて本当に気持ち悪くて嫌なのだ。
数年前までは意識することも全くなかった(し、ある程度合っていた)から、大人になって頭が回りすぎているのだろうか。

理想の演奏のためのイメージを強く持ち続けること、理想の音楽というものを言葉にしないまま持ち続けられることもひとつの力なのかもしれない。



学生ラス1でさらう曲はデニゾフのソナタ。
もう1曲くらいいけるかと思ったが、楽譜がどこ探しても無く泣く泣く諦めた。
おさらい会17日だし、もう1曲くらいなんか探そうかな、バッハでもいいかも。なんだかんだ、触ってはいるけどさらってはいない。