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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

調整

アルトとソプラノの調整を行った。
アルトは先日好奇心で購入したプラチナネックの支柱外し(そもそもなんでアルトに支柱がついているんだ…)のみをお願いしていたのだが、バランス調整までしていただいて、おまけに綺麗に磨いて下さった。

さらにここ数日演奏に出る特徴的な不具合があったのだが、その原因も突き止めて頂き、その内容は若干おぞましいものでもあったのだが、ひとまず壊れる前につきとめていただけてよかった。

明日はこれらの楽器を用いてリハーサル。
特にまだソプラノのクセはつかみきれていない所も多いが、しっかり準備し臨みたい。

ギョーム・コネソン

ロスト・ホライズンというアルバムの中に入っている、ギョーム・コネソン作曲の A kind of traneという協奏曲が凄まじい。
ソリストはティモシー・マカリスター。マカリスターが吹くのだから凄まじいというのはもうある程度分かりきっているのだが、それでも凄まじい。ってかいい音だ。自分ももっと音色は沢山沢山研究しなきゃなと思う。オケはオケで、とんでもないビート感だ。クラシック音楽なのになんだか足でも鳴らしたくなってしまうような心地良さだ。

元々はクラリネットの協奏曲なのだろうか?
サクソフォンは最初と最後こそソプラノだが、途中アルトに持ち替えているようだ。
楽譜も出版されているので、手に入れて音を出してみようかと思う。

ちなみにギョーム・コネソンはフランスの作曲家。1970年生まれだ。
サクソフォンのための作品は、軽く探した感じ他には無さそうだが、ぜひ何か1曲でも書いてくれたら嬉しいなと思う。

閑話休題。
それにしても、作曲家という存在そのものが凄まじいものだと感じることが増えてきた。今まで、曲がそばにあって当たり前という、なんともおめでたい気持ちでとにかくたくさんの曲を吹いてきたつもりだが、いやいや、作曲家が曲を残していることなど、本当の本当に奇跡以外の何物でもないのだなと感じる。
私個人の感情ではあるが、演奏する時にはやはり一つ一つの作品に対して触れられることが奇跡であるように関わらなければならないと改めて思うし、その結晶の魅力を伝える…なんていったらおこがましいのかもしれないが、それでもそのきっかけの一助になるような演奏が出来たらと強く思う。

アンサンブルofトウキョウ in Asaka 第一回定期演奏会

アンサンブルofトウキョウ in Asaka 第一回定期演奏会を聴きに行ってきた。
実は開演の2時間くらい前までこの演奏会の存在を知らなかったのだが、友人の先生がご出演されているということ、そう遠くない日に取り上げたいと思う曲を演奏しているということ、何よりも以前よりずっと聴きたいと思っていたアンサンブルだったので、思いがけず友人についていき聴きに行ったのであった。

実は私は朝霞出身で、しかしこのような文化ホールがあるということを知らなかったため、そんなことも相まってとても感激した演奏会だった。
自分自身、生まれ育った街の文化を発展させるお手伝いのようなことが、細々ながらも出来たらいいなと思っていて、そのような意味でも今後このホールも積極的に利用していけたらいいなと思っている。

演奏会の内容だが、私が何か感想を書くのはおこがましいというほどの良い演奏会だった。
これほど安心して音楽を聴けたのも久しぶりだったと思うし、本当に素敵な音楽がずっと流れていた2時間で、思いがけず参加した演奏会だったが、いけて本当に良かったと感じた。

合わせてレッスンして

ピアソラ合わせの後レッスンだった。

いかにしてその曲の様式の魅力を引き出すか、というところに自分の頭が行くのたが、それをこなすために必要なのは基礎の力なのか、それとも想像力なのか、本質的にはどちらも必要なのだろうがなかなか難しいなと思う。

しかしそういった霊感の類にしても、基礎の力の類にしても人事を尽くすしか無いのだよなとも思う。
もしかしたらこのような考え方は損な考え方なのかもしれないとも思うのだが、しかし自分に出来ることをただこなすという時間が今はあるのだから、それを信じてやっていくべきなのだろうと思う。

colorless green notes

動画を投稿した。



大学同期の平川笑のクラリネット、サクソフォンとピアノのためのトリオ。
この編成の作品も徐々に増え始めているが、まだ少ない方だろう。
作品としての聴きやすさ、各作品の独立性など面白い作品だったと思う。また演奏したい。

埼玉

今日も県内でレッスン。

大学同期から引き継いだ学校で、初めて来たものだから生徒さん達もさぞ緊張したと思うが、そんなことも感じさせず一生懸命レッスンを受けてくれて私もとても助かった。

人に何かを教えられるほどまだまだ持っている事は多くないが、やはりそれでも少しでも人の助けになれるようなことが出来たらいいなと思っている。連日書いているけれど。

指導ダブル

指導ダブルの日だった。いろんな人のお手伝いができてありがたい。

今日はレッスン中に音楽理論について話す時間があったが、音楽理論はそれ独立として存在するものであるということをしっかり認識していないといけないなと感じた。

サックスのキーは重い。
指の使い方や押す位置?角度?形?など工夫しないと最高速度も上がらないのかな~なんてことを考えながらさらっていた。

巴里

のアメリカ人ばかり聴いていた日だった。

色んなことを動かしたいと思っても、具体的なアイデアや行動が伴わず難しいなと感じた。
大人になるにつれて、とりあえず手を出すというハードルがだんだん上がってくるように思う。わからんけど。それは自分の理想が上がっていくのに対して自分の能力が伴わない場合があるからなのだろうか。わからん。

オフ

オフだった。
家でゆっくりと基礎から確認。

本当になんとなくなのだが、やはり全力で吹くことに抵抗を感じてしまうのが良くないと思っている。対策が欲しいと考えつつ、息から音色への効率の良い転換はども意識しながら練習した。

吹いていない時間は今日は音楽ばかり聴いていた。
演奏を聴いたり見たりするのは専らストリーミングだが、この先情報が飽和した先に何が残るのだろうか。また、そのような状況の中で我々が出来ることは何なのだろうか。
AIは芸術家を殺さないが、芸術家が芸術家を殺す可能性はある。
本当に必要とされる芸術家だけが生き残る時代になるのだろうか。

しかし芸術とは、芸術をもって表現を望むものに等しく与えられた権利だ。そのような事があってはならない。し、そう願う。
自由が保証されているということは、本当に奇跡のようなことで、同時に本当に素晴らしいことだ。

とりとめのない内容になってしまった。
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