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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

シェーンベルクブーム

最近の興味の範疇はシェーンベルク。
そういえば、来年のいわゆる吹奏楽コンクールの課題曲V番に尾方凜斗氏の 吹奏楽のための『幻想曲』―アルノルト・シェーンベルク讃 が選ばれたが、まさにタイムリーといった具合だと感じた。尾方氏の作品は、去年の3月に作曲の会Shiningにてパリンプセストー重ね書きされた吹奏楽のためのーという作品を演奏させていただく機会があったので、そんな馴染みのある作曲家の作品が脚光を浴びた事実に私も嬉しくなっている。直接交友が深いとかそういうわけでは無いのだが、(おこがましいながら)内心ものすごくお祝いしている。笑
吹奏楽の課題曲を演奏する機会というのは、ありそうでなかなか無いものだが、是非音を出してみたいと思っている。
そして、これはどの曲もそうだが…課題曲とはなっているが、課題曲として終わらないような、吹奏楽の大事なレパートリーとして定着していくことを願っている。

ちなみに私が吹奏楽コンクール課題曲で好きなV番は…まあ選べないんだけど、江原大介さんの「躍動する魂」か、山口哲人さんの組曲「薔薇戦争」、谷地村博人さんの「君は林檎の木を植える」あたりだろうか。結局最近の曲ばっかり上げてしまうあたり、自分の吹奏楽の知識まだまだだなと思わされる。笑

話題が逸れまくった。シェーンベルクだ。

多分、書くべくして十二音技法を選んだのだろうなと感じている。
彼の初期作品の美しさは、他の追随を許さない。マジだ。
彼は時代の先に行きすぎていたと思う、マーラーが自分のことをそう言ったように。
新ウィーン楽派という音楽史上の区別がつけられたあまり、いわゆる「現代音楽」…ここでは理解できない皮肉的な意味として…の作曲家としてレッテルが貼られている(ように思う)が、とんでもない。
彼はもう力も創作意欲も有り余って、十二音技法が生まれたのだ。
と、最近彼の作品を色々と聴いていて感じる。
どの時代の人びとも、力の有り余った人が新しいことをはじめ、当時理解されず、後になってその素晴らしさが分かるようになる。そんなものなのだろうか。

1930年代には、ナチス・ドイツ政権が頽廃音楽などというカテゴリを作ったが、これもなんというか…そういうとこだよな~となんとなく思う(つたわれ)

とかく、かなり大きく興味をそそられていて、しばらく色々調べたり読んだりしてみたいと思っているのがこのシェーンベルクだ。また記事にしたいかも。

ソプラノ

ピアソラを合わせその後は帰宅しソプラノをさらった。
今後演奏する新曲を譜読みした。

調和の落とし所

入間市民吹奏楽団さんの定期演奏会に賛助出演させていただいた。
吹奏楽の中でソプラノを吹くのはかなり久しぶりで、またこれがどの辺りにサウンドを持っていくのがベストなのか、かなり悩まされた。
そもそもソプラノサックスという楽器が、かなり音色の独立しやすいもので、それを混ぜに行くというスタンスで演奏すること自体が正しいのかも疑問に感じるほどだった。

息を減らす訓練が必要なのかなとも感じた。
少ない息の量、方向やアンブシュア、身体の使い方の工夫でとかく新しいところを探してみたいと思った。
今は息を出す際にいかに力を抜くか、というところで、息をたくさん、脱力して使うというところに焦点が当たりがちだったのだと思う。
つまり自分の体の中にストッパーという概念が一切無いような身体の使い方だったのかなと感じる。あくまでイメージだが。
ストッパーといえば無い方が良いに越したことはないが、しかし明らかに息の無駄遣いは発生していると思う。その辺明日からまた研究できたらいいなと思う。

しかし無事終わって安心したところが大きいが思い返してみたら楽しい本番だった。貴重な曲も演奏できたし良い経験ができてわたしも嬉しい本番だった。
誰かに呼んでもらえることは本当にありがたいものだ。
色々な曲に触れられるようにしたい。

Lesson and Rl

今日は午前中レッスン、午後はリハーサル。

とにかく思うはソプラノを吹奏楽の中で吹くことに慣れてなさすぎという問題。
全然、どの辺りの音色を狙えばいいのかが見つけられない。のだが、明日は自分なりに答えを出して吹かなければならない。
ものすごく音が細く聴こえる。というか、ソプラノで、音を細く聴かせないような吹奏楽の中に溶け込ませるサウンドを持っていないというところに限るのだと思う。むっず。明日の空き時間中に意識してみたい。

新たな練習

即興のための練習に本格的に取り組み始めることにした。
とにかく実践、フィードバックなのかなと思っているが、どんなものなのかはまだ自分ではよく分からない。

買って聴いて

今日は久しぶりに銀座ヤマハへお邪魔した。
衝動でほしくなった楽譜と、音楽書を購入し、今後のための即興のために今更であるがチャーリー・パーカーのオムニブックを購入。
これから時間をかけてさらっていきたいと考えている。
そのあとにはヤマハホールでクラリネットの新人演奏会を聴いた。
はっきり申し上げて同年代の演奏だとサクソフォンよりも他の楽器の方が聴いていて楽しい。比較するものでもないのだけれども。
なんでそういう風に言うかというと、多分時期の問題だと思う。考えてみればサクソフォンのための音楽を最近練習する時間をもそもそもそれほど取っていないということもある。

今日の演奏では同期の菅田小夏が出演していたが、私の安い感想でモノを言うのも失礼かもしれないが、会心の演奏だったのではないかと思う。安定感、表現力、何よりもドビュッシーが求めた空気管があれほど出ている演奏もなかなか無いのではと勝手にものすごく感動した。
自分もあんな演奏がしたい!と大きく刺激を受けた演奏だった。少し疲れが溜まっていて行くかどうかも少し悩んだのだが行けて本当に良かった。めぐつんもお疲れ。

おさらい会の日

今日はおさらい会だった。
フェルーの三つの小品から恋する羊飼いと、ピアソラの、グランタンゴを演奏した。
サックスの曲吹いてなさすぎ問題というのがあるが、まあそれは仕方ないものとして大目に見ていただきたい。

これらの曲は、フルートだからこそ、チェロだからこそできる表現というものが多く存在していて、それを今は自分なりのスタイルとして落としこめるように、音色のことを中心に考えながら演奏しているわけだが、やはり技術のつけ方としては非効率的なものであるのだろうか、と考えることがある。

人生という意味で我々に与えられている時間は有限で、もちろん練習にかけられる時間も無限ではない。
その中で、どの曲を練習することを選択し、どの曲を聴衆と共有することを選択し、そして、一生の糧とするものを何にするか考える上で選曲というのはとんでもなく重要な作業だ。
単純な吹きたいという気持ちだけでも成り立たないし、しかし人に望まれて演奏する曲の一定の魅力を引き出し切れる責任や実力がいつでもあるとは限らない。

多分、こんなことを迷うのは、結局自分自身がまだどのようなサクソフォン奏者として生きていきたいのか、ブレる部分があるのかもしれないと思ったのであった。
しかしそれは自己評価を下げる原因になるものでなく、その気づきを得たことがこの曲たちを練習したり演奏したことの糧の一つなのだと思う。

と、糧とか時間とか、吹きたいという気持ちとか人に望まれてとか色々下らないことを言ったが、重要なことはステージ上で最善のパフォーマンスをこなす。純粋にそれだけだ。
今日の演奏は自分自身のフィードバックをする上で大変な収穫があった。
明日からの練習に活かしたい。

おさらい会は基本的にクローズなイベントとして主催しているが、希望者はいつでも参加できる。
音楽学生、または学生に近い人が演奏する場所であるが、そのような場を求めている人に広く提供したいと思っている。
ぜひ気になる方は、吉尾へ一言連絡を入れて見て欲しい。

とかくスタミナデー

午前中はレッスン。
基礎の内容ということで、今日はスタミナを中心に。

様々な練習を、いつも以上長い時間を負荷をかけながら練習した。
本来はレッスンで取り扱うような内容ではないのかもしれないが、音を作り上げるものは筋肉や身体なので、少し大変な練習も経験として持っておくと違うのかななどと感じた。

卓越性

今日はレッスン。時期も時期で基礎中心というオーダーだった。
基礎というと、やはり教えるべき内容の幅はとても広いし、その基礎を教えるために必要な知識の種類も幅広く、一言で言ってもかなり難しい内容であると感じた。生徒のためにも自分なりの指導案といったものでも用意してみるべきであろうか。

それにしても色々演奏をしながら、色々な人の意見に触れて、悩んだり迷ったりすることもたくさんたるのだろうと感じる。
悩みなど少ないに越したことは無いのかもしれないが、悩みそれを解決しようと努力できるのはそれこそ若いうちの特権であるようにも感じる。
悩むことを羨ましいと言いたいのではない。大人になったら、解決せずとも誤魔化す方法などいくらでも手に入るということだ。(きっと)
だから、しっかりぶつかって、いろんな方法を試して、自分なりの正解や最善を見つけて欲しいなと思う。それは吉尾は今になってもやっているつもりだ。失敗は成功のもとなのだから。

体力低下

体力が足りていないと感じる。
衰えた、というよりも自分が動きたい行動量に対して体力がついて行っていない、という感じだ…走る癖でもつけようか。
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