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徒然音楽日記(新) Saxophone - Yuki Yoshio

日々の活動の記録

サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」 プログラムノート

サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」
サン=サーンスはその生涯に、(番号なしの作品を含めれば)交響曲を5曲書いている。
この「オルガン付き」と銘打たれたこの曲はサン=サーンスの最後の交響曲作品となった。この交響曲は、構成上4楽章形式に見えるが、
実際は2楽章形式である。通常の第1楽章と第2楽章、第3楽章と第4楽章はそれぞれ統合されておりそれぞれを楽章と呼ばず、1部・2部としている。
このようにサン=サーンスは伝統的なスタイルを踏まえつつも、新たな交響曲スタイルの提示をしたのである。
この交響曲の最も大きな特徴は、編成の中にオルガンが含まれているということだ。
サン=サーンスはオルガンを、音量増強のためだけではなく、時にソロパートとして、時にはオケと対等な響きを持つ楽器として扱った。
彼はオルガン奏者も務めていたので、オルガンを十二分に鳴らす方法は熟知していたのだ。
西洋音楽史上、オルガン付きの交響曲はこの作品以前にも存在するが「オーケストラの中のオルガン」として成功した作品は、この曲が最初であろう。
2つ目の特徴は1つのメロディ(主題と呼ばれる)を何度も形や音の高さを変えてその主題を軸に曲を拡げていく「循環形式」という技法を採っていることだ。(曲の中で主人公のような扱いを受けるメロディ、とでも言えよう)
この曲の中の主人公のメロディを、シャープとフラットを無視して以下に記してみよう。「ミーレーミードーレーミーソーファーファーミーレーミードーミーレードーシ」と、なる。
実はこの曲の中の主人公、モデルにされているであろう旋律がある。それは、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」という旋律である。これに、サン=サーンスのこの交響曲のテーマが酷似しているのだ。
彼はこの曲以外にも、「怒りの日」の断片を組み込んだ曲を作曲していることから(死の舞踏などが良い例だ)、この旋律の導入は意図的であったことは間違いない。
何故、彼はこの交響曲に「怒りの日」を織り込んだのだろうか。「怒りの日」は時に断片的なメロディとして、時に高さを変えたメロディとして、この怒りは運命なのか偶然なのか…様々な角度からその表情を見せる。
この曲は曲そのものの派手さから、ついついエンターテイメント属性が目立つ曲、悪く言えば表面的な音楽と受け取られてしまいがちな部分があるが、その堅牢な構成を意識しながらこの作品を味わえば、
この曲が如何に計算されつくされている曲か、理解に苦しむことは無いであろう。間違いなくこの曲は、数多くあるオーケストラの交響曲作品の中での傑作である。

第1楽章 第1部 アダージョーアレグロ・モデラート ハ短調 8分の6拍子、ソナタ形式。
穏やかな弦楽器の序奏に、天に昇るような美しいオーボエのソロから音楽は始まる。
このオーボエのソロから、主人公のメロディの断片は現れているのだ。
低音楽器がオーボエの音形を3回なぞり、不穏な空気のアレグロへと静かに移る。
ここで、弦楽器が曲全体に掛かる「怒りの日」のメロディ、つまり第一主題の全貌を見せるのだ。
その後、不穏な空気とは対を成す穏やかな第二主題をヴァイオリンが歌い、大胆な転調を何度もしながら曲は進む。
第1部は主人公的扱いを受けるメロディがわかりやすい曲であるので、もしも交響曲を聴き慣れていない方であれば、それを意識しながら聴いて頂ければ楽しんで頂けると思う。
第1楽章 第2部 ポコ・アダージョ 変ニ長調 4分の4拍子
この曲の最大の特徴、オルガンの静かな低音から曲は始まる。その低音を伴奏とし、弦楽器が静かにユニゾンでメロディを奏する。
それを、トロンボーン、クラリネット、ホルンが同じメロディを受け継ぎ、弦楽器からは儚くも美しい伴奏を聴くことが出来る。
再び、弦楽器、管楽器と2つ目のメロディが提示され、曲は展開部へと進む。
展開部は弦楽器とオルガンのアンサンブルで、第2部の最初のメロディの変奏をする。
静かでとても繊細な弦楽器の音色を味わうことが出来るであろう。
その後、コントラバスが「怒りの日」の主題をピッツィカートで歌い、
大胆な転調を当たり前のようにこなした後、変二長調へと戻り再び最第2部最初のメロディを奏し、コーダへ、静かに第1楽章を終える。
第2楽章 第1部 アレグロ・モデラートープレストーアレグロ・モデラートープレスト 8分の6拍子
強烈な弦楽器のユニゾンから曲は始まる。この強烈なユニゾンにも怒りの日の断片は含まれている。
より形が分かりやすくなった旋律がその後の木管楽器群の旋律である。この旋律は「怒りの日」の前半部分をリズムを変え丁寧になぞっている。
その後1度目のプレストは、空を飛んでいるような明るく、自由な楽想で疾走感あふれる作りとなっている。随所のパートが4分の2拍子になっていて、
リズムの対比を楽しみながら旋律を聴けるのも楽しい。ピアノとの掛け合いも必聴だ。
2度目のプレストは、明るく楽しいものとは打って変わってドラマチックな展開を見せる。
低音が第2主題の変容を美しく奏すると、その合間に思い出したように1度目のプレストの断片が現れる。
木管楽器が静かに回想を終えると次は弦楽器の極めて繊細なアンサンブルを聴くことが出来る。
オーボエの物哀しいソロの後、アタッカで第2部へ。
第2楽章 第2部  マエストーソーアレグロ  
前奏付きの自由なソナタ形式。オルガンの強烈な和音から始まる。「怒りの日」の主題は長調に移調されて、4手のピアノ伴奏と共に現れる。これが第2部1つ目のテーマだ。
その後、ソリスティックとも言えるオルガンの響きが主題をもう一度奏した後、曲はフガータ(フーガの様な曲の部分の事である)へと進む。
そのフーガの主題も「怒りの日」である。リズムは違うが、注意深く聴いていて頂ければお気づきになるだろう。
次にオーボエのソロから始まる新しい場面となる。これは第2部における2つ目の主題となる。
何度もメロディの受け渡しが終わると、再び1つ目のテーマが低弦楽器によって再現される。これによりふただび音楽を盛り上げ、
その後の弦楽器のユニゾンによるテーマの大合奏は展開部としては最大の聴きどころとなる。その直後に管楽器全員でのテーマの大合奏が、大変華やかに奏されるのだ。
曲は自然に再現部へと進む。低音楽器と高音楽器のテーマの掛け合いは、この曲のラストへの弾道となる。その後トロンボーンが本気を出すとそれに触発されるように管楽器は急き込みながらテーマを奏し、壮大なフィナーレの後、ティンパニの全身全霊を込めたソロを受け、壮大に曲を閉じる。


…と、この約2000文字(あれ1500だっけどっちだっけ)に及ぶ文章を夏の定期演奏会のプログラムに掲載させていただきました。今思えばこれはひどい。長すぎる。ボレロも600文字以上。ラロも1100文字。…開場から開演までの30分で読める量じゃない…。笑笑
しかも、書いてあることもかなり突っ込んでる。信憑性が…薄そうだ…いや自分なりにはたくさん調べたんですけどね…。
ちなみに、(突っ込みすぎて表には載せるの怖いから)裏プロに書いてみちゃう?というかなり突っ込んだ裏ノートも(まだ書いてんのかい)存在するので、今日は
そちらも載せてみようと思う。

ちなみに、何を突っ込んでいるか、というと
サン=サーンスの交響曲3番における「循環形式」と「怒りの日」の因果関係である。
本来は、プログラムノートの中にこれらの文章が入るのです。。


この交響曲は、「苦悩から歓喜へ」という、ベートーベンの運命交響曲やブラームスの交響曲第1番と言った超名曲と同じ形式が取られている(ここでは割愛させていただくが、ベートーベン以来のハ短調の交響曲には苦悩から歓喜へ、というジンクスの様なモノが存在する)が、
曲全体を通して、「怒り」という暗の感情を循環形式という技法で執拗にテーマを繰り返しているとしたら…それは、静かではあるがはっきりと逆説的な主張(暗から明への形式の破壊)をしているのではないだろうか。
この交響曲はその豪華絢爛さからエンターテイメント性の高い曲、と評価されがちだが、これほど執拗な「怒りの日」の数々…この交響曲が新たなスタイルと言われたのは、楽章形式でもなくオルガンの技法でもなく、
苦悩から歓喜へ、という先代作曲家の残した課題の破壊なのでは無いだろうか。この交響曲に、エンターテイメントと言う言葉は無い。間違いなくこの曲は、数多くあるオーケストラの交響曲作品の中での傑作である。




…というね。
日本語力不足を実感させられますねこれww
まー何が言いたいって、ハ短調交響曲は苦悩から歓喜へ、という無言のメッセージから昔からあって、
サン=サーンスは「怒りの日」のメロディを循環形式という技法を取ることによって、
表面的な調性では歓喜を、内面的な心理では「怒り」…すなわち、ジンクスの破壊を試みたということだと吉尾は思っている。
そういう意味でこの曲は、交響曲として最高の成功を収めた曲だと思っているのです。
まあ正直解釈突っ込みすぎて、偏ってるかもなって思ってる部分もありますがw

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